刻まれた過去
<1>
誰かに呼ばれた気がして、ジタンはふと振り向いた。
暗闇の中、声の主は影さえ見えない。
『―――ジタン』
「誰だ?」
『気をつけて、ジタン』
「……え?」
『よくないことが起こるかもしれないよ。誰かが、よくないキモチを抱えてるんだ』
ジタンは辺りを見回した。
「……ビビ?」
『ボクにはわかるんだ、ジタン。気をつけてね―――』
*
「―――ジタン?」
ぐらりと世界が回る感覚。ジタンは目を開いた。
「大丈夫?」
上から覗き込み、心配そうな目をしてガーネットが尋ねる。
窓から射す月明かりから、どうやら朝方も近い時間とわかった。
―――なんだ? 何か夢を見たような……
「オレ、うなされてた?」
「いいえ、そこまでじゃないけど……何か寝言を言ってたわよ」
「なんて?」
「わからないわ。でも、寝苦しそうだったから起こしたの」
ジタンは起き上がり、戸惑った顔をしたガーネットに、にっこり微笑んだ。
「ま、いっか」
「夢でも見たの?」
「う―――ん。よく覚えてないけど……たぶん」
そう、とガーネットは小さく囁いた。
「なんだか懐かしい感じがしたんだけどなぁ……」
と、ジタンは後ろ頭を掻いた。
―――懐かしくて……不安にさせる。そんな感じだった。
「昔の恋人の夢じゃないの?」
と、ガーネットは抱えた膝に頭を乗せ、からかうような微笑を浮かべてジタンを覗き込んだ。黒い髪がさらさらとシーツの上に落ちていく。
「―――まさか」
こんなに愛しい妻がいるのに。
ジタンは体を伸ばしてガーネットに口づけした。
遠くからちらっと見える彼女の姿も素敵だけど。傍で見れば見るほど、ガーネットは綺麗だ。
初めて会った時も、可愛い子だな、と思わず目を奪われた。
でも、こうして一緒にいる時間が長くなればなるほど、ますます彼女は綺麗になる気がする。
じっと見つめる青い瞳に、ガーネットは優しく微笑みかけた。
「なぁに?」
「いやさ、綺麗だな、と思って」
「もう、そんなことばっかり言うんだから」
「ホントに。ホントに思うから言うんだよ」
「そんなにおだてても、何にも出ないわよ?」
ガーネットはクスクスと笑みを漏らした。
そんな風に笑う彼女は本当に綺麗だ、とジタンは思う。
いつまでも笑っていて欲しい、と。
***
日の沈んだアレクサンドリアの街。大通りの酒場。
この国の民ならよく見知った金髪のシッポ男がふらっとやってくる。
今日も、ご多分に漏れず。
「よ、サラマンダー、珍しいな。いつアレクサンドリアに来たんだ?」
と、カウンター席に仲間を見つけ、彼はニッと笑った。
「昨日か」
「へ〜。トレノの仕事は?」
「―――それより、お前は何でここにいる」
「え? オレ? 別に、いつものことだぜ。な、親爺!」
「おうよ! ジタン閣下はこの場末の酒場の常連、ってな」
と、マスターは機嫌よく答えた。
「……変わらんな、お前は」
「そうそう変わるかよ。サラマンダーだって変わんないじゃん」
「俺は生活自体変わってないからな」
「ふ〜ん。オレも生活変わってないよ」
「……」
サラマンダーは沈黙で返答した。
即ち、周りの人間が掛けられているだろう迷惑事を思いやったのだ。
あまり覇気のないサラマンダーに飽きたのか、ジタンはカウンターを離れ、円卓の市民たちと笑いながら酒を酌み交わしていた。
世間話と自慢話が飛び交い、みな屈託なく語らっている。
サラマンダーは、得意になってトレジャーハンティングの成果を自慢するジタンに、肩を竦め、呆れたとばかりに溜め息をついた。
その時。
サラマンダーの目が開いた窓から外へ向かい……
「伏せろ、ジタン!」
え? と振り向いたジタンは、目の端にきらりと光るものを見て、咄嗟にしゃがみ込む。
何かが頭を掠め、切り離された金色の髪が数本、羽のようにはらはらと宙を舞って、落ちた。
壁―――ちょうど、賞金首を尋ねる貼り紙が貼ってあった―――へと突き刺さったのは……ぎらりと光る、小さな金属の矢。
店の中がし―――ん、と静まった。
ただ一人平静だったサラマンダーがカウンターを乗り越えて裏口の扉を開け、外を見る。
―――いない。
「サラマンダー!」
ようやく我に返ったジタンが駆け寄った。
「―――消えた」
「何?」
「殺気立ってた。恨まれるようなことでもしたのか」
ジタンは首を傾げた。
「いやぁ―――どうだろ」
サラマンダーは、まったく、と溜め息をついた。
「あのさ、サラマンダー」
「なんだ」
「……ダガーには、言わないでくれるか?」
サラマンダーは一瞬その顔を見て。
「無駄だと思うぞ。ここはあいつの国だろうが」
ジタンは、はぁ、と溜め息をつき、店へと戻った。
「みんな、ごめん。もう大丈夫だから」
店に集まっていた客たちは、お互いの顔を見合わせて困惑していた。
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