<3>


 シュッと奔る小さな銀の矢。
 サラマンダーの言っていた、殺気。
 命を奪うつもりだったのか、ただの脅しなのか。
 自分をそこまで疎む相手とは、一体―――
「ジタン」
 ソファーに寝ころんでぼうっとしていた彼に、帰ってきたガーネットが声を掛けた。
「退屈そうね」
「まぁね」
「考え事でもしていたの?」
 ジタンは起き上がり、座り直した。
「うん―――ダガーはどこか行ってたのか?」
 と、クローゼットに仕舞われる白いローブを見つめ、瞬間思い当たる。
「……街へ行ってきたのか?」
 ガーネットは振り向いた。
「ええ」
「なんで?」
「あら、息抜きよ。いつもはあなたがすることを、今度はわたしがしてみたの」
 彼女は悪戯っぽく微笑んだ。
「危ないじゃないか」
「心配?」
「当たり前だろ」
「わたしも、いつもそんな風にあなたを心配してるのよ。少しは思い知ったかしら?」
 ガーネットは笑いながら、ジタンの隣に腰を下ろした。
「考えていたのって、事件のこと?」
 ジタンは途端に真剣な面持ちになり、一つ小さく頷いた。
「何か、思い付いた?」
「……いや。でも、オレに死んで欲しいと思っている人間がいないとは言い切れないよな」
「この国にはいないわよ。みんなあなたが好きだもの」
 貴族たちも含めて、ね。
 と、ガーネットは小声で付け加えた。
「―――かなぁ。だとすると、もうホントに疑わしい相手なんて一人も思い当たらないんだけど」
 諦めて後ろ頭を掻くと、ジタンはごろんと横になる。
「やっぱいいよなぁ、膝枕」
「もう、ジタン。ふざけないでよ」
 ガーネットは咎めるような口調で言ったものの、顔は微笑んでいる。
 ジタンは目を瞑った。
 ふと、小声で囁く。
「ごめんな、心配ばっか掛けてさ」
 ガーネットは金色に光る髪を撫でていた手を止め、目を見開いた。
「もう、ジタンったら。あなたらしくないからやめて」
 クスクスと零れる笑い声に、何となく安心する。
 笑っていてくれれば、それだけでいいや、と。

 ―――オレらしい、か。
 そういえば。昔、「自分らしさ」がわからなくなった時があったな。
 その時、迷い込んだ暗闇から救い出してくれたのは、彼女だった。
 彼女と、仲間たち……。手の届く範囲は全部守るなどと、随分息巻いていた自分。
 でも、結局は逆に守られて、それが仲間なんだと教えられた。
 わかっていたはずの答えなのに、オレはそれをどこかに落としてきてしまっていたから―――


 ……すぐ側で、ごく密やかな声がする。
「―――随分幸せそうな顔で寝てるじゃない。しょうがないわね、ジタンも」
「少し疲れてるのよ。可哀想だからもう少し寝かせてあげて」
「エーコとしては面白くないけど、ダガーがそこまで言うなら、仕方ないから許してあげるとするのだわ。でも、あんまり甘やかさない方がいいわよ、ダガー。うちのお父さんみたいになったら大変だもの」
 ガーネットは笑った。
「おじさまは、おばさまのこと本当に愛してらっしゃるじゃない」
「どうかしら。そうだとしても、浮気はよくないと思うのだわ」
 エーコはこの間起きた騒動の話をしようと口を開いたが、あまり喧しくしてもいけないと思いとどまり、「ジタンが起きるまで散歩でもしてくるわね」と部屋を出ていった。
 急に、静かになる。
 半分寝たまま半分起きていたジタンは、ガーネットが微かに身じろいたのを感じて目を開いた。
「あら、起こしちゃった?」
 と、ガーネットが困った顔で囁いた。
 部屋は薄暗かった。もう、月の光が射し込んでいる。
「―――オレ、寝てた?」
「それはもう、ぐっすり。その間にエーコが来たわよ」
「……そういえば、いたような気がする」
「あなたが眠っているからつまらないって、怒ってたわ。あとでちゃんと相手してあげてね」
 ガーネットは小さく笑うと、吐息をついた。
「エーコ、あなたのこと心配して来てくれたみたい。一人でも多いほうがいいからって」
「う〜ん……まぁ、そうと言えばそうだけど」
 と、ジタンは眉を寄せて唸った。
「エーコに何かあったら、シドのおっさんに殺されるだろうしなぁ」
「でも、フライヤは三つ子の世話で忙しくて来られないし、クイナもどこまで食料調達に出掛けちゃったのか全然わからないでしょう? エーコだけでも来てくれたら、何かあったとき心強いわ」
 ―――何もないとは思うけれど。
 と、ガーネットは言い添え、微笑んだ。
 無理させているんだろうな、と、ジタンは苦笑気味に微笑みを返した。



 それから一週間ほどは、何事も起きなかった。
 いつも通りの穏やかな時が流れ、ともすれば、みなあんな事件があったことさえ忘れそうになるほどだった。
 誰かの気の迷いか、あるいは悪戯かも知れない。
 いや、たまたま何かの加減で飛んできただけの、流れ矢かも知れない。
 そうだ、きっとあれは猟か何かしていた者が放った流れ矢が、運悪く飛び込んできたに違いない。
 喉元を過ぎれば、みな熱さを忘れがちになる。
 やがて、街を取り巻いていた不穏な雰囲気も影を潜めた。
 普段通りの、平穏な日々だった―――。






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