<5>
木々の向こう、闇の中で一瞬光が湧く。
赤い光。―――トランスだ。
サラマンダーは黙って藪を掻き分け、もう一本向こうの獣道へ急いだ。
―――トランスしたということは、何らかの傷を負った可能性が高いということ。
飛び上がり、枝伝いに光の方を目差す。断末魔のような叫びが複数上がっている。
やがて、再び闇が訪れた。
無事か?
それとも、やられたか?
数瞬後、闇の中にようやく人の気配を感じた。
一つは、よく慣れた気配。
残り三つは知らない気配―――あの日感じた殺気。
「撃て」
抑圧的なたった一言を合図に。
木々の間から差す僅かな月の灯りに銀色に煌く、矢。
闇を斬るように飛ぶ。
サラマンダーは咄嗟にコインを取り出し、狙いを定めて投げた。
一定の軌道を描いていた金属の細い矢が、カチンと音を立てて地面へ落ちる。
その瞬間、はっとしたジタンが顔を上げるのがわかった。
どこからともなく聞こえてくる声に、一瞬焦りが混じる。
「何奴だ」
その瞬間、円月輪が弧を描いて飛び、さっき矢を放った主を襲う。気配が一つ消えた。
しかし、それと同時に、残り二つの気配も消えた。
―――厄介だな。魔道士か。
モンスターの鳴き声が幾つも闇の中から迫ってくる。
サラマンダーはうんざり溜め息をつくと、木の枝から飛び降りた。
「サラマンダー!」
「ボサッとしてるな。やられるぞ」
ナックルを装備して、来るべき闘いの時に備えながら、サラマンダーは呆れたような声で言う。
「なんで……」
「世間話をしている暇はない。お前はさっさと走れ」
「―――サラマンダー」
「何だ」
「お前一人で行ってくれないか、城まで。オレのことはいいから―――あいつらの狙い、本当はダガーなんだ!」
一瞬驚いたようにジタンを振り向いたサラマンダーは、小さく息をついた。
「やはりな」
「知ってたのか……?」
自分に歩み寄ったジタンが僅かに足を引きずったのを、サラマンダーは見逃さなかった。
「―――足か」
「なぁ! 知ってたのか、サラマンダー!」
「お前が狙われた酒場でダガーと会ったときに、な。矢が射抜いた『G』の文字を見て、そうかも知れないと思った」
「……『G』?」
「俺たちはみな、ダガー、と呼ぶからな。ピンと来なかった。落ち度だった」
透き通った青い目が闇の向こうへ向かう。
自分が死ぬより相手が死ぬことの方が怖い。今ならその感情も理解出来るかも知れないとサラマンダーは思った。
あの頃には知り得なかった感情だ。
「白魔法と違って傷は癒えないぞ。精神力でカバーするだけだ」
「―――え?」
気を集め、腕を振る。
―――チャクラ。
光が湧いて、消えた。
「城に帰ってからゆっくり手当てしてもらえ。行くぞ」
***
後から後から追い縋ってくるモンスター。
この森から、一歩たりとて外には出さぬという気迫。
前からも回り込んで来れば闘わねばならない。
一歩先を走るジタンの表情は見えないが、恐らく限界も近いだろう。脹脛からはかなり本格的に赤い血が流れ出ている。
気ばかり急いているこの男を、最善の策で城まで行かせるにはどうしたらいいか。
闇の中から獣たちの牙よりもっと鋭い光が一直線に飛び出してきた。
―――来たか。
「先に行け」
サラマンダーは立ち止まった。
ジタンも立ち止まる。
「サラマンダー! オレはいいから、ダガーを―――!」
「心配するな、あっちは大丈夫だ」
振り返りもせず、サラマンダーは告げた。
「え……?」
「ラニが来てる。呼び寄せておいた。今頃は城でダガーを守ってくれているところだろうよ。スタイナーなんかもいる。大丈夫だ」
「―――ラニが?」
「あいつなら絶対にしくじらないだろう。いいか、お前はお前のことだけ考えておけ。簡単にこの森から出してはくれないようだぞ」
黒い影が数頭分、わっと闇から躍り出る。
「走れ、ジタン」
やけに冷静なその語気に、ジタンは素直に従った。
くるりと振り向き走り出すそのすぐ側を、再び金属の矢が、闇を射抜くように飛んでいく。
回り込んできたモンスターを二頭薙ぎ倒すと、ジタンは地面を蹴って倒木を越え、再び走ろうとした―――その時。
背後からゾクっとするような気配が彼を捕らえ、喉元に冷たい感覚が走った。
「よく走る男だな―――ジタン・トライバルよ」
月の光に怪しく光るナイフを突きつけられ、一歩も動けなくなった。
利き腕を掴まれたため反撃も不可能。少しでも動けば、容赦なく喉元に刃が喰い込むだろう。
「―――離せっ!」
彼を捕らえた主は、恐ろしく冷たい微笑を浮かべたらしかった。
「焔色のサラマンダー。世界一の男がよもやこのようなところで油を売っているとはな」
しまったという顔で振り返るサラマンダー。
襲い来るモンスターを煩そうに払ったが、ボーガンを構えた人影が近づくと、ぴたりと動きを止めた。
―――迂闊だった。相手は二人だとわかっていたのに。
「一人で生き抜く孤高の戦士ではなかったのか、焔よ。このようなことで命を落とすとは情けもない」
「仲間のために命の一つも掛けられねぇなら、生きる価値もねぇんだよ」
ふてぶてしく言うサラマンダーに、ジタンの背後にいる男は嘲りの笑いを送った。
「ほぉ……堕ちたものだな。ならば、その仲間とやらから死んでもらうか」
スッと氷のような鋭い冷気が喉元を流れるように感じる。ジタンはきつく目を閉じた。
瞼の裏に白い花のような影が浮かぶ。
―――ダガー……!
「させるか」
「ふふふ……動けるものなら動いてみるがよい、焔。お前が一寸でも動けば、その瞬間この男の命はない」
その言葉に、ふん、と鼻で笑う音がする。
「俺が動くと誰が言った―――フライヤ!」
その瞬間。闇夜を切り裂き赤い竜が風のスピードで落ちてくる。槍の柄で、ジタンを捕らえていた男の頭を一突きにした。
それと同時に、サラマンダーは身を躍らせ、やや呆けたようなもう一人をあっけなく打ち倒した。
「些か出遅れたようじゃな」
フライヤはニヤリと笑うと、先程の一撃で地面に倒れた男に槍の矛先を向けた。目深にフードを被った男の顔は見えない。
「くっ―――!」
しかし、フライヤの意識が一瞬それた隙に、男はまたもや闇に消え去った。
「何―――? 時空魔法か?」
フライヤは飛び上がって上から森を見渡したが、既にその姿は認められなかった。
地面へ舞い降りると、蹲ったジタンにサラマンダーが駆け寄ってきていた。
そう、フライヤの集中力を一瞬そいだのは、突然膝から落ちたジタンだったのだ。
「フライヤ、毒消し持ってるか?」
サラマンダーが顔を上げて尋ねる。
「持っておらぬが……何じゃ、毒にやられたのか」
「たぶん―――毒刃だな」
喉元に手を当てていたジタンはフラフラと立ち上がった。
「―――大丈夫」
「大丈夫ではないじゃろう、無理を致すな。サラマンダー」
不承不承の溜め息をついた彼は、軽々とジタンを持ち上げた。
「……降ろせよ、一人で歩けるから」
「歩かぬ方がよいぞ。動き回ると余計に毒気が回るからのう」
フライヤは背負われたジタンの肩をぽんっと叩いた。
「それに、おぬしがそうフラフラしておっては、急ぐに急げんからの。では、参るといたそう、サラマンダー」
サラマンダーは仕方ない、という風に肯き、しかし不機嫌そうな声色で言う。
「―――お前は来なくていいと言っただろうが。国でガキの面倒でも見てりゃいいのに」
歩きながら振り向き、フライヤは不敵な笑みを浮かべた。
「私が来なくては困ったことになっておったじゃろう?」
「まぁな」
「仲間の危機に駆けつけぬとあっては竜騎士の名に恥じよう。それに、城の方はかなり人手があるようじゃったしな。スタイナーにベアトリクス。そうじゃ、ちょうどクイナも帰ってきたようじゃった。エーコもおるし、ラニもおった―――おぬし、いつの間にそういう関係になったのじゃ?」
不意にフライヤがふざけたように尋ねる。
「―――うるさい」
フライヤは喉の奥でクツクツと笑った。
「まぁよいわ。それから、フラットレイ様も共に参ったし、ダガーとて闘えぬわけではないしのう。じゃから、私はおぬしたちを追って参ったわけじゃ」
「三つ子は?」
不器用な抱え方でずり落ちないように気をつけながら、ジタンはフライヤに尋ねた。
「子は宝じゃ。誰かが看てくれていようぞ」
「……そっか」
それだけ人が多ければ、たぶんガーネットは安全だろうと思わず安堵の溜め息が漏れる。何より、全員信頼の置ける仲間だ。
安心した途端、体中から力が抜けた。
「う―――目が回る」
「なら閉じていればいい」
無愛想にサラマンダーが忠告する。
フライヤはふと月を見上げた。
「相手の狙いは―――やはりダガーなのか?」
「そうらしい」
と、サラマンダー。
「『G』……か。誰も気付かなかったのじゃな」
幾分責めるような口調で、フライヤは言う。
「悪かったな。こいつの暢気が伝染ったのかも知れねぇ―――おい、重くなるから寝るな」
振り返り、力なく凭れた金色の頭を覗き込んだフライヤが頭を振った。
「少し急いだ方が良いかも知れぬ、サラマンダー。どうやらかなり強い毒のようじゃ」
サラマンダーはやれやれと溜め息をつき、前を行く竜騎士の後を走った。
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