<8>


「馬鹿な事を!」
 男は声を荒げた。
「それこそがお前達の偽造した歴史。我々は騙されない」
「騙してなんて……!」
「ダガー」
 ずっと黙っていたジタンが、身を乗り出しかけたガーネットを押しとどめ、再び背中に隠した。
「無駄だ。話の出来る相手じゃない」
「嫌よ!」
 彼女は頭を振った。
「誰も傷ついて欲しくない! 誰も傷つけて欲しくないの!」
「いつまで戯言を言うつもりだ、女王よ! お前の祖先が命奪った魔道士は、愛する女の目の前で息絶えたのだ! 彼女がどうなったか聞きたいか」
 振り上げた腕から小さな矢が幾つも飛び出す。
 ―――マジックアロー。
 払い切れなかった一本が、ガーネットを庇ったジタンの肩を掠めた。
「やめて!」
 両手で耳を覆い、ガーネットが叫ぶ。
「そうだ。そうやって彼女は狂っていった……いつか必ず復讐すると誓ってだ!」
 再び詠唱しようとした、その時。
 風が巻き起こって、彼の口元がぴたりと止まった。
「フライヤ!」
 地上から飛び上がってきた赤い服の竜騎士が、テラスに足をかけた。
「一言でも唱えてみよ、今度こそ逃がしはせぬぞ」
 槍の先は、男の喉元を捉えていた。
 しかし、男は口元に厭な笑いを浮かべただけだった。
「こんなところで油を売っていていいのか? この女の愛する街が、モンスターに攻め込まれるぞ」
 そんな言葉では、フライヤの表情は一寸も動かなかった。
 隙を突いて再び剣を構えたベアトリクスに、ガーネットが叫び声を上げた。
「待って、ベアトリクス!」
 彼女は女主に、目だけでなぜかと問いかけた。
「そんな風に……この人を斬っても、何の解決にはならないわ」
 ガーネットは無意識に、胸の前で手を合わせた。
「お願い、もうやめて。罪のない街の人たちを傷つけないで」
「罪がないとなぜ言える」
「だって―――彼らがあなたに何かしたわけではないでしょう? 彼らはただ運命の下、アレクサンドリアに生まれたというだけであなたのご先祖様とは何も関係ないのよ」
 静かに、そう言う。
 しかし、狂気が収まるわけもなかった。
「追い出された者の痛みはわかるまい」
 再び腕が上がる。
 フライヤがますます構える槍に力を込めた。
「追い出す者の痛みはわからないでしょう」
 その言葉に、一瞬空気が静かになった。
「あなたのご先祖様を追い出したのは、あなたの一族を嫌ってしたことではなかった……ただ、この地に封印された召喚獣を戒めるため、だけだったの。だから、故郷を追われなければならないあなたの一族に、国王は胸を痛めたと思うわ」
 その時。暗闇から隼のような怪鳥が空を切って飛び込んできて。
 フライヤが咄嗟に槍で打ち落とした。
「胸を痛めたことで我らを追いやった罪が消えるとでも思うのか」
「そういうわけではないわ!」
 ガーネットは首を振った。
「ただ、そうせざるを得ない運命だったことをわかって欲しいと思ったの。誰も、理由もなく誰かを傷つけたいなんて思わないわ」
「小賢しい!」
 夜の闇に指笛が響き、街の方から複数の叫び声が上がった。
 地響きのような音がする。
 間違いなく、モンスターの数が増えた証拠だ。
「やめて!」
「願わくば愛しき者の死を―――苦しめばいい、アレクサンドリア女王よ」
 射抜くような目線はガーネットではなく、ジタンを捕らえた。
「やめて!」
 ―――愛する人を、守りたい。
 これ以上、誰も傷つけさせない!
 ガーネットはついに一歩進み出た。
「復讐の相手はわたしなのでしょう!? なら、わたしだけを狙えばいいじゃない! わたしだけを殺せば……」
「ダガー!」
 闇に向かって歩き出すのを、引きとめようとジタンが呼びかける。
「誰も傷つけないで。復讐を果たしたいなら―――わたしの命を奪えばいいわ」
 ガーネットは男の目の前で、無防備に両手を広げて目を閉じた。
 穏やかな美しい顔が月に照らし出され、刹那、その表情を見た二人の女騎士が揃って息を呑んだ。
 感情的な行動でも、自暴自棄の行動でもなく。
 ―――守るべき国を背負った女王の行動でもなく。
 彼女の顔は、まるで傷ついた小鳥の羽を癒そうとする女神のようだった。
 そろりと上げた両手を止め、男は躊躇うような素振りを見せた。
「―――天使……?」
 彼は、聞こえないほど小さな声で、一言そう呟いた。
 そう、敵を凝視する騎士たちには見えなかったが。
 ガーネットの体はいつの間にか淡い光に包まれていたのだ。
 そして。
 後ろから見ていたジタンには、その背中から羽のようなものが生えている錯覚を覚えた。
 ―――まさか、そんなわけがない。
 呆気に取られて瞬きも忘れた。
 白い羽はふわふわと、彼女の体を包み込んだ。静かに優しく、彼女を守るように。
 まるで無防備なはずのガーネットは、いまや完全に光の羽に包まれて一分の隙間もなかった。







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