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「まぁまぁ、よう来てくれはって。さ、入りぃや」
 ベアトリクスと別れ、飛空艇発着所まで迎えに来ていたジェフリーと再会を喜び合った後、サファイアはようやくタンタラスのアジトへ辿り着いた。
 待ち構えていたルビィが迎えてくれた。
「ほらぁ、ジェフリー。鼻の下伸ばしてないで、さっさと芝居の練習、行って来ぃ!」
「の、伸ばしてねぇよ!」
 ジェフリーは名残惜しそうにサファイアの手を握り締めた。
「ごめんな。もうすぐ公演があるんだ」
「もしかして、間が悪かったかしら?」
「そんなこと全然ないよ!」
 ジェフリーはぶんぶん首を振った。
「よかった。それで、何をやるの?」
「ピーター・パン。俺、主役なんだぜ!」
「この子は演技がヘタやから、ホンマしょうもないわ」
 と、ルビィが口を挟む。
「な、し、失礼な!」
「ねぇ、あたしも練習見に行ってもいい?」
 サファイアは青い透き通った目で、じっとジェフリーの茶色い目を見つめて尋ねた。
 ……う。
 久しぶりに会ったせいか、調子が狂う―――。
「え、も、もちろんいいよ!」
 ジェフリーが頷くと、サファイアは嬉しそうに微笑んだ。
「あんまりヘタやからって、がっかりせんようにね」
 ルビィがサファイアの肩を叩いて言い、ジェフリーは顔を赤くして怒っていた。


 がらんとした客席に一人座って稽古を眺める。
 ―――へぇ、みんな真剣なのね……。
 サファイアは出来るだけ物音を立てないように気を付けて、じっと稽古を見守った。
 普段はふざけてばかりのジェフリーも、真剣な表情で稽古に励んでいる。
 ……ブランクおじさまでしょ。あの、突然押し掛けてきたお姉さんのリアナ。他の人も会ったことはあるんだろうけれど、もう覚えてないわ―――
「こら!」
 ブランクがジェフリーの後ろ頭を小突いた。
「って―――」
「よそ見するな」
 あろう事か、ジェフリーはサファイアに目を奪われて自分のセリフの番を失念したらしい。
 ―――どうしよう、邪魔なのかしら。
 サファイアが立ち上がろうとした時、その肩を大きな手で押しとどめられた。
 驚いて目を上げると―――
「あ!」
 サファイアは小さく声を上げた。
 見覚えがある。大きな体、ヒゲ。ウサギのような耳!
「おめぇ、サフィーか」
 問われ、サファイアは肯いた。
「大きくなったじゃねぇか。今、いくつだ?」
「十四です」
「そうか、もうそんなになったのか」
 彼は髭を撫で、満足そうな顔をした。
「おお、そうだ。俺のこたぁ覚えてねぇだろうが―――」
 サファイアは首を振った。
「バクーおじいさま、でしょう?」
 彼は愉快そうに笑った。
「なんだそりゃ。大ボス、でいい」
「どうして? お父さまがおっしゃっていたもの。おじいさまは、お父さまのお父さまのようなものだって」
「へ、あいつがそんなこと言いやがったか」
 バクーは座席にふんぞり返り、しかしまんざらでもない顔をした。
「おめぇ、父親がタンタラスにいたってことは知ってるようだな」
「ええ。四歳から、十六歳まで育ててもらったって」
「その通り」
「ブランクおじさまも一緒だったの?」
「あいつぁ赤ん坊の頃からだから、ジタンより長いな」
「ルビィおばさまは?」
「ありゃぁジタンより後だ。でも、子供の頃から一緒に育ったってのは間違いねぇぜ」
「そう―――。お父さま、時々その頃のことを話してくださるの」
「楽しい話か?」
「ええ。大概は楽しいお話で、時々は失敗したお話で」
「あいつは始終失敗してやがったな」
 バクーはガハハ、と笑った。
「あの―――おじいさま」
「ん?」
「一つ聞いてもいいですか?」
「なんだ」
「どうして、お芝居をしようとお思いになったの?」
 バクーは座り直した。
「ふむ。おめぇさん、芝居は好きか?」
「え? あ、ええ、もちろん。途中で眠くならなければ」
 バクーは笑った。
「だって、お話があんまり長いとだんだん―――」
「おめぇの父親も同じ様なこと抜かしてたな」
 あまり可笑しそうに笑うので、サファイアは少し赤くなった。
「あのな、サフィーよ。この世で大事なことってのはな、だいたいがものすごく単純なようにできてるのさ」
「―――どういうこと?」
「例えばな、『愛』ってぇ言葉がある。この愛って言葉はいろいろ複雑な意味があるように見えるが、とどのつまりぁ、一つのことを示してる」
「……一つ?」
「そう。それは、『愛』だ」
 サファイアは面食らって小首を傾げた。
「確かに、そうだと思うけれど……」
 バクーはふん、と笑った。
「この世にある言葉ってのは難しく取られがちだがな、実はたった一つの真実を持っているってだけの、単純なものなのさ」
 バクーは稽古の進む舞台を見つめた。
「芝居ってのは、そういう一つ一つの真実が折り重なって積み上がって出来ている。だから人は感動する。真実の前には、人は無力だからな」
 サファイアは胸に手を当てた。
「真実って、気持ちのこと?」
「おめぇさんがそう思うならそうさ」
「おじいさまはどう思われるの?」
「俺か? 俺にとっての真実は―――」
 バクーはニッと笑った。
「お宝だな」
「まぁ!」
 サファイアはびっくりして目を見開いた。
「お父さまみたい」
 バクーはガッハッハ、と笑った。
「ま、お宝、っていうのはちと極端すぎるがな、人の真実は『夢』にあると俺は思う」
「夢―――」
「起きて見る夢でも、寝ながら見る夢でもいいが。夢ってのは、人を無限の可能性が広がる世界に放り込んでくれる。俺は、そういうのが好きだな」
「それで、お芝居をされるの?」
「ま、芝居なんてのは人の夢の結晶みたいなもんだ。結晶って言ったら宝石。ほら、お宝と繋がっただろう?」
 バクーは戯けた調子で片目を閉じた。
「おめぇさんも、いっぱい夢見て、無限の可能性を持った大人になるんだど」
 彼はそう言って立ち上がり、舞台に向かってびっくりするような大声で声を掛けた。
「ブランク、おめぇはどうもガキの頃から人にものを教えるのがヘタだな。アメとムチを使い分けろよ!」
 舞台の上からブランクがぶすっとして返した。
「年寄りは帰って寝てろよな!」
 へっ、と笑うと、バクーは劇場を後にした。
「……親父?」
 ジェフリーは、なぜかその背中をずっと目で追う父親に首を傾げた。




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