Tantalus' Panic! 1792   〜Castle of Satan〜



<1>



「こらーっ! ジタン!」
 ぴょんっと跳ね飛んで逃げようとした少年の尻尾をぎゅっと掴んで、捕獲。
 マリアの怒号がアジトに響き渡ったのは、秋の深まりかけた午後のことだった。
「あんたは毎日毎日毎日、なんだってこう悪戯ばっかりするんだい?」
 マリアは呆れた声で、尻尾を掴んで少年を吊り上げる。余程痛いのか、青い大きな目に涙を溜めて、彼は振り向いた。その両手には、おやつまで待ちきれなかったお菓子が握り締められていた。
「だってぇ」
「男が言い訳するんじゃないの」
 ピシャリと跳ね除けられ、ジタンはうぅ、と唸り声を上げた。
 マリアはジタンの両手からお菓子を取り上げると、台所の隅の椅子に座らせる。
「いい、ジタン。人様のものを盗むなんてのはね、盗人のすることだよ」
「オレ、盗賊だもん」
 彼は背凭れにふんぞり返ってぷぅ、と頬を膨らませた。
「それに、どうせそれ、オレのおやつになるんだもん」
「そうじゃなかったら?」
 マリアが呆れて言うと、ジタンは「え?」と身を起こした。
「これはね、ハロウィーンのために焼いてるお菓子なの」
「えーっ、おやつは?」
「さつまいも蒸かしてやるから、待ってなさいって」
「やだ! そっちが食べたい!」
「へぇ? 我が儘言うつもり?」
 マリアが腰に手を当てて怖い笑みを浮かべたので、ジタンはぶんぶんと頭を振って、椅子を降りた。
「ジタン、ごめんなさい言ってないよ」
「……ごめんなさい」
「よろしい」
 そう言ったきり、マリアはまた背を向けて、お菓子作りの続きに取り掛かってしまった。
 ジタンは小さく溜め息を吐くと、台所を出た。
 マリアが作っているのは、いつも食べているおやつより、ずっとおしゃれで美味しそうな焼き菓子だった。物珍しさについ手を伸ばしてしまったけれど、この姉貴分が気付かないはずはないことくらい、わかっていたのだ。
 何となく面白くなくて、ジタンは少ししょんぼりしながら居間へ戻った。
「また叱られたっスか、ジタンさん」
 マーカスがそれに気付いて、同情深げにそう言った。
「怒られるようなことするお前が悪いんだよ」
 ブランクはジタンを見もせず、何やら黒い布を広げている。
「わかってるもん」
 ジタンは小さい声で言い返した。
 ブランクは聞こえているのかいないのか、さっきからゴソゴソといじっている布の端を持って、立ち上がった。
「やっぱり、もう小さいな、コレ」
「兄キ、背伸びたっスもんね」
 黒いテカテカした布に、真っ赤なギザギザした羽がついている。ジタンにはそれに見覚えがあった。去年のハロウィーンにブランクが着た、デビルの衣装だ。
「お前にやるわ」
 と、ブランクは衣装をジタンに突き出した。
「えーっ、またブランクのお下がりかよぉ」
「しょうがねぇだろ、一番チビなんだから」
「チビチビって言うなよ!」
 ブランクは両肩のところを持って、ジタンの背に合わせてみる。
「か〜なりでかいなぁ……」
「マリア姉さんに裾を詰めてもらったら、十分着られるっすよ」
 マーカスがニコニコと勧めるが、ジタンは面白くなくてブランクの手を払った。
「そんなの、いらない」
「じゃぁ、今年はジタンはハロウィーンなしずら」
 白い布を引っかぶってお化けになっていたシナが、悪戯っぽく言った。
「マリアは、今年はルビィの衣装を作るから忙しいずら」
「えーっ?!」
 ジタンは窓際に座ってぼんやり外を見ているルビィの方を見た。話題に上っていることはわかっているだろうに、彼女はこちらを振り向かなかった。
「ルビィは来たばっかりだから、衣装がないずら」
「そういうこと。それに、去年お前が盛大に破いた衣装じゃ今年は使えないしな」
 そう、ジタンが去年着た服はモコモコと毛の生えた狼のような衣装だったのだが、悪戯をしようと柵をよじ登った時に引っ掛けて、思いっきり破いてしまったのだ。それも、直し難いことこの上ない布地のせいで、永久にお蔵入りしてしまったのだった。
「ほら、観念しろって」
「やだ!」
「じゃぁ、お菓子貰いに行かないんだな?」
「それもヤダ!」
「我が儘言うなっての」
 しかし、すっかり駄々っ子状態のジタンは、頬っぺたを最大限まで膨らませたまま、頷こうとしない。
 そこへ、
「まぁた、ごねてるのかい?」
 マリアが蒸かしたさつまいもを籠に入れて台所から出てきた。テーブルに籠を下ろすと、こつんとジタンの後頭を叩く。
 ジタンは両手で頭を押さえて振り向き、マリアを睨んだ。また目に涙を溜めている。
「はいはい、わかったわかった。まったく、相変わらず泣き虫なんだから」
 マリアはジタンの頬っぺたを両手で掴んでびよーんと伸ばした。
「痛いっ!」
 器用な両手を離させようと躍起になっているうちに、ジタンは本当に泣き出した。
「……児童虐待」
 ブランクがぽそっと呟く。
「何か言った、ブランク?」
「新しい衣装くらい、作ってやればいいのに」
「あたしはね、忙しいの。そんなこと言うんなら、あんたが作ってやればいいじゃない」
 マリアは意地悪っぽく目を光らせた。両手はジタンの赤くなった頬っぺたを撫でてやっている。
「あのぉ……」
 それまでずっと黙って窓の外を見ていたルビィが、おずおずと声を上げた。
「なぁに、ルビィ?」
「うちの衣装、いらんから」
「は?」
 マリアはきょとんとルビィを見た。
「ハロウィーンなんて、アホらしいし。うちはせぇへんから、代わりにその子の衣装、作ってあげたらええと思うねん」
 未だ他人行儀に「その子」呼ばわりされたジタンは、泣き止んで新入りの少女を見た。
「なんで? ハロウィーンしないの?」
 心から驚いた顔のジタンに、ルビィは口ごもった。なんで、と言われても確たる理由などなかったから。
「ダメよ、タンタラスではハロウィーンをしない人間なんていないの」
 マリアが相変わらずジタンの頭やら顔やらをわしわしと執拗に撫で回しながら、そう言った。
「みんなで一緒にやるんだから、恥ずかしくないでしょ?」
「別に、恥ずかしいなんて……」
「あたしねぇ、女の子に服を作ってあげるのは初めてなのよ」
 マリアは楽しそうに言った。
「フリルたっぷりの魔女の衣装、作ってあげるからね。楽しみにしてて」
「げーっ! えこひいきだ、マリア!」
 ジタンがマリアを見上げて訴えたが、彼女は鼻を鳴らして、
「あんたはブランクのお古着なさーい。ちゃんと見栄えよく直してあげるから」
「ホント?」
「あたしを誰だと思ってるの?」
 舞台で使う衣装を十年来縫い続けている、マリア。
「カッコいい耳も作ってあげるからね」
「耳?」
 ジタンは意味がわからず、自分の耳を引っ張ってみた。
「ほらほら、おいも冷めちゃうよ。さっさと食べて遊びに行きなさい」







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