<3>
まず、緞帳を持ち上げてブランクがアジト(だった建物)の中へ入ってみる。中はいつものアジトとは部屋の造りさえも違って見えた。しかし、真っ暗である。
「どうなん?」
続いて、負けん気のルビィが続く。煙のようなものが足元を漂い、今にも何かが出てきそうな雰囲気だったが、ルビィは背筋が震えないように注意した。
「怖いよぉ」
ジタンは泣きべそになっている。ルビィは後ろを振り向き、左手を差し出した。
「手、繋いでてあげる。そしたら怖ないで」
「ホント?」
ジタンは、ブランクなら100%尻込みしそうなその申し出を、すんなり受けた。
その後からマーカスが入り、ほぼ同時にシナも緞帳の中へ入り込んだ。
「じゃ、行くぜ。誰か見つけたら言えよ」
ブランクは、変装の小道具だったカンテラを掲げた。これで、少し先まで見ることができる。まるで、迷路のような壁が立ちはだかっているのがわかった。
入り口から少し行くと、高い台の上に、見たこともない小さな女の子の人形が座っていた。彼女は緑色の不気味な瞳でこちらを凝視している。
ぎょっとして、ブランクが立ち止まった。
「何?」
ジタンがほとんど泣き声を上げた。
「今、目が光った気がする」
「カンテラの明かりが反射したんちゃうの?」
と、ルビィが震えた声で指摘した。しかし、今度はジタンの後ろで、マーカスとシナが同時に悲鳴を上げた。
「うわぁ、なんかベチョっときたっス!」
マーカスはしきりに首の辺りを撫でている。しかしそこには、魔物の類は何も存在していないようだった。
「今の音、何?」
急にジタンがキョロキョロと辺りを見回し出した。
「音? なんも聞こえんかったで」
「なんか、女の子の笑い声みたいな音」
「お前だろ、ルビィ」
「アホぉ、こんなとこで笑えるわけないやろ!」
ルビィは力任せにブランクの背中を叩いた。ブランクは軽くつんのめったが、顔を上げた瞬間、言い返そうとした言葉を忘れた。
「あれ?」
全員、彼の目線を追う。
さっきまでそこに鎮座ましましていた人形が、跡形もなく消えていたのだ。
代わりに、紙切れが一枚残っていた。そこには、尖った釘のような文字でこう書いてあった。
気 を つ け て
魔 王 に 会 っ た ら
人 形 に さ れ ち ゃ う よ
***
天井から、ピタン、ピタン、と何か水滴のようなものが落ちて、床で跳ね上がって音を立てている。
全員足を止め、進行方向を見つめた。
カンテラの明かりでははっきりわからないが、床に水溜りのようなものが出来ているようだ。
ルビィが後ろからブランクの背中を突っつく。見て来いという合図。
一瞬振り向いて不満そうな顔をしたものの、このままここでじっと雫が落ちてくるのを見つめ続けるわけにも行かないので、そーぉっと近寄ってみた。
その瞬間。
ごとりと音がして、天井から何か落ちてきた。その場の全員が小さく悲鳴を上げて、マーカスとシナは、五メートルは後ずさった。
「何なん?」
ルビィがヒステリックに悲鳴を上げた。
ブランクは明かりで照らし、ぞっとしてもう二歩下がった。
「生首……」
運悪くも通路の真ん中に転がっているのは、明らかに人間の生首……らしきものだった。ぼんやりした明かりでははっきり見えないが、それだけに余計に不気味だ。
しかも、よく見れば床の水溜りは、ただの水ではなく、粘度の強い、黒っぽい色をしていた。
ジタンが尻尾の毛を逆立てて、
「血だ! 絶対それ血だろ!」
と騒いだ。
ブランクは足元二メートル先を見つめたまま、戸惑ったように黙っている。
あの横を通るのは、かなり気味が悪い。
「やっぱりやめようよぉ」
ジタンが涙声でせがんだ。
ブランクは相変わらず黙ったまま、何か考えている。
やがて顔を上げると、ルビィの方へ手を伸ばした。
「何?」
ルビィはビクッと身構えた。こんな時は何でも怖い。
「ほうき、貸せ」
「へ?」
しばらく目を丸くしてまじまじとブランクを見つめていたルビィは、やっと意味を飲み込んでおずおずとほうきを差し出した。
「どないするん?」
ブランクはおもむろにほうきを逆さまにすると、柄の方でさっきの生首を突っついた。
うわーっ、という叫び声がいくつか上がった。
「な、何してるんスか、兄キ?!」
しかし、再びブランクが突っつくと、ぐるりと回って目が合ったので、マーカスは棒のように直立してしまった。
散々突っつき回し、時々元の位置に戻ってしまったりしながら、ブランクは何とか生首を通路の端まで転がし終え、額の汗を拭って息を吐いた。
「これで通れるだろ。サンキュ、ルビィ」
振り向いてルビィにほうきを返そうとしたが、彼女は断固として受け取ろうとしなかった。
「ほら、お前んだろ?」
「イヤや」
ルビィは信じられないという顔でブランクを見た。
「あんた、それで何突っついたか忘れたわけやないやろな?」
「……」
それで、以降ドラキュラは哀れほうきを持っての進攻となったのだった。
これでもかというほど喚き散らしながらようやく生首の横を通り過ぎ、全員が大きく溜め息をついたとき。次の難関は着実に彼らの側まで来ていた。
***
通路の角をくるりと回ると、少し先に階段が見えた。その向こう側、ぼんやりと灯った青白い明かりの下に、誰かが―――もとい、何かが背中を向けて座っている。
その『何か』は、ふらりと立ち上がるとこちらを振り向いた。その瞬間、全員ギクリとして立ち尽くしてしまった。
「あ……」
ルビィがようやく小声を上げて、指差す。その『何か』の足元に散らばっていたのは、白くて細長い人間の骨のようなものだった。
「人喰い鬼……?」
とジタンが呟いた声は音にはならず、喉の奥で空気がひゅうと漏れただけだった。
それは、血走った目をした、背の丸い人間のような形の―――どこからどう見ても、絵本で見たことがあるあの『人喰い鬼』だった。
人喰い鬼はこちらを見たまま、にやりと笑った。
誰かが「ひっ」と声を漏らした。
「旨そうなのが一つ、二つ、三つ、」
しわがれた声で数えると、ひゅん、と手を伸ばした。が、幸いなことにまだ届くような距離ではない。
「四つ、五つ、そら、こっちへ来い」
全員がぶんぶんと頭を振る。
よく見れば、人喰い鬼は足元を鎖に繋がれていて、その鎖は伸びきっても階段の向こう端に届くか届かないかという長さだった。
しかし、側を通れば腕を伸ばさなくても悠に届いてしまう距離。捕まることは必須だが、階段へ向かう以外、他に進路はなかった。
「やっぱりやめようよ……」
ジタンは相変わらず声にならない声で必死に訴えた。
「今ならまだ引き返せるっスよ」
マーカスも同じようなひそひそ声で主張した。
「そうずら、こんなのもう無理ずら」
ルビィが後ろからブランクを突っついたが、彼は無反応だった。
「ちょっと、立ったまま気絶しとるんちゃうやろな」
しかし、ブランクはふいと振り返った。
「俺は行く」
「まっ……待ってくださいっス兄キ、喰われるっスよ!」
「し―――っ」
マーカスが大声を上げると、ジタンが口元に指を当てた。
「あんた正気なん?」
「行きたくないならここに残ってりゃいいだろ」
「そんなの無理ずら!」
しかし、ブランクは無言のまま視線を戻すと、階段の方へと一歩足を踏み出した。
人喰い鬼が歓喜の唸り声を上げる。かなり腹が減っているらしい。
「ブランク!」
引き止めようと、ジタンが必死にひそひそ声で呼びかけても、ブランクは止まらず、もう一歩足を踏み出す。
急に、ルビィが泣き出した。
「何だよ」
ようやくブランクが振り向いた。彼のマントの端を握ったまま、ルビィが離さないのだ。
「せやかて、あんた死んでしまうんやで!」
「死ぬかよ」
「ホンマは怖いんちゃうの?!」
ルビィが金切り声を上げると、ジタンが再び「し―――っ!」と指を当てた。
「怖いわけねぇだろ!」
「怖いんやろ! 震えとるやないの!」
「なっ……」
確かに、ルビィはずっとブランクの後について歩いていたのだから、バレても不思議ではなかった……が。
「さ、寒いんだよ、これが!」
と、ブランクは悪足掻きにも足元を指差した。相変わらず白い煙が漂っていて、何となく冷え冷えとしてはいる。
「そこまでしてお菓子欲しいん?! あんたそんなにお腹空いとるん?!」
ほとんどヤケクソになってルビィが叫んだ。
「し―――っ!!」
ジタンもヤケクソになって口元に指を当てた。
「とにかく行くんだよ、俺は! 放っとけ!」
「放っとかん、うちは嫌や!」
そのままうわ〜んと泣き出したので、他の全員はおろおろと彼女を囲んで困り顔になった。
「ブランクが泣かしたんだぞ」
伝染して涙目になっているジタンが言うと、
「勝手に泣いたんだろ、こいつが」
ブランクは小さく肩を竦めたが、
「うわ〜〜ん」
ますます泣き声が大きくなるので、すっかり閉口してしまう。
その様子を、『人喰い鬼』が首を伸ばして窺っていたのを、残念なことに誰も見咎めなかった。
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