<3>



 しばらくするとルビィも泣き止み、とにかく前へ行くか後ろへ戻るかという話に戻った。
「じゃぁ、先に進む派」
 ブランク以外、誰も手を挙げない。
「……後ろに戻る派」
 はーい、と全員が手を挙げた。
「言いっこなしだぞ、多数決なんだからな!」
 とジタン。
「……」
 ブランクの服の裾は、未だにルビィが握り締めている。
「わかったよ」
 不承不承、ブランクは肯いた。
「そうと決まったらさっさと行くっス!」
「ずら、こんなところ早くおさらばずら」
 そうだそうだと、全員踵を返すように振り向いた、その先に。


 すぅ、と通りかかる白い影。


「……今の、何?」
 足元の煙が更に濃くなり、ひゅうひゅうと冷たい風が通路の向こうから吹き込んでくる。
 再び、白い影はふわりふわりと浮かびながら通り過ぎ……いや、通り過ぎようとして、止まった。
 誰かが叫ぼうとして叶わず、喉の奥で引き攣ったような掠れた音を出した。
 髪の長い女だった。白い長いローブのようなものを着ていて、フワフワと浮遊していた。そう、足元にあるべき二本の足がなかったのだ―――!
「やっ」
 ルビィが一歩下がった。相変わらず、ブランクの服の裾を握ったままだ。
 小さな悲鳴に気付いたのか、女はふらりとこちらへ近づこうとした。
 その瞬間、長い髪がざらりと、後へ流れる。
 最初は後ろを向いているのかと思っていた。しかし、そうではなかった。顔に髪が掛かって、見えなかっただけなのだ。
 マーカスとシナが震えながら後ろへ回る。全員、団子のようになって来るべき恐怖を凝視することしか出来ない。
 完全にその顔が見えた時、全員が全員、思わず息を飲んだ。


 青白い顔に、腫れ上がった目元に、はっきりと憎悪の色が浮かんでいた。
 女はまるで幽霊のような細く掠れた声でこう言った。


      見 た な ―――と。


 そして、持っていた大きな鎌を振り上げた。


 最初にジタンが座り込んだ。膝が震えて、もう立てそうになかった。
 それを見たシナとマーカスが泣き出して、その場にしゃがみ込んだ。
「もうダメっス。助からないっス!」
 うわーんと泣きながら、マーカスがそう叫んだ。
 やっぱり、あの時行かないともっと頑固に言っておけば良かったと後悔したが、もう遅かった。
 女はゆらりと揺れながら、どんどん近づいてくる。
 それに比例して、こちらの泣き声も大きくなっていく。
 ブランクは後ろを振り向いた。しかし、人食い鬼はこちらから目を離す気配もない。
 背中を冷たい汗が流れた瞬間、思い切りマントを引っ張られて、尻餅をついた。
 ルビィが腰を抜かしたらしかったが、ブランクにはそれを確認する余裕もなかった。


 ……なかった、のだが。


「よっし! あたしの勝ち〜♪」

 という陽気な歓声が、あろうことか幽霊の方から聞こえ、いや、その口がはっきりそう喋り、ぽいと鎌を捨てると、彼女は長い髪を自分の頭からずるりと引き剥がした。
 再び上がる悲鳴。
「何だよぉ、俺だってあとちょっとだったのにさ」
「終わったのか〜?」
「なんだなんだ、また魔王の出番はナシか?」
「はいはい、お開きお開き!」
 次々と明かりが点き、ぞろぞろと魔物が集まってきて、恐慌状態の子供たちは片隅に集まって何が起こったのか呆然としていた。
 幽霊が……いや、マリアが、子供たちににっこりと笑って手を差し伸べた。
「ほら、幽霊ごっこはもう終わり」



***



「ったくよぉ、お前らもうちっと踏ん張れよな。まーた出番ナシだど」
 と、魔王、もといバクーが大きな手で子供たちの頭を順番に撫でる。
 明るくなると、そこは確かにアジトだった。ちょうど階段の下の踊り場の隅っこで固まって座り込んでいたことになる。
 大人たちは楽しそうに笑いながら、メイクを落とし、衣装を脱いでいた。
「お前らが全員泣くか、全員腰を抜かしたら、そこでお開きだったってわけ。その時脅かしてる奴が勝ち」
 と、人食い鬼……ジョイが指を左右に振りながら説明する。
「で、あたしが勝ったわけ」
「ジョイもいいとこまで行ってたけどな」
「甘い甘い。この子たち、幽霊が一番苦手なんだもん」
「ちぇー。最初から分があったってわけかぁ!」
 ジョイはソファーに仰向けに寝っ転がって悔しがった。
「大体、アンディのは可愛すぎるよ。あんなの誰も驚きゃしないって」
「いやぁ……なんか可哀想でさ」
 と、アンディは後頭を掻きながら、人形を片していた。
「お前の時は、盛大に泣き喚いたもんな」
 フィルが栗毛頭をちょいっと小突くと、彼は気まずそうな顔で苦笑した。


 未だに状況が掴めない子供たちは、相変わらず隅に座って大人たちを一人ずつ見回している。まだ白粉を塗ったままの顔だったが、マリアは「おいで」と彼らを手招きした。
「ほら、立てる? 美味しいお菓子を用意してあるからね」
 その「お菓子」という日常的な単語でいち早く緊張が解けたジタンが、うわーっと泣きながらマリアに飛びついた。
「ホントにマリアなの?」
「そうだよ、ほらよく見てご覧」
 マリアは屈み込み、ジタンと同じ目線になった。とは言え、真っ白な顔である。しかし、鳶色の目は笑っていて、そこは確かにマリアのままだった。
 やっと本当だと認めると、ジタンは小さな手で一生懸命しがみ付いた。
「怖かった?」
 金髪頭を撫でてやりながら、他の子供たちも見回す。
 シナとマーカスとルビィは頷きながら未だずるずると泣いていたが、ブランクは憮然とした顔をしていた。
 ふふん、とマリアは笑った。
「怖かったでしょ、正直に言いなさい」
 赤い髪を乱暴に掻き回され、ブランクはますます不機嫌な顔になった。


「美味しい?」
 顔を覗き込まれると、子供たちはウンウンと肯いた。
 マリアは大きなかぼちゃのケーキを焼いておいてくれたのだ。かぼちゃのケーキはマリアの得意料理で、みんなの大好物だった。
「前からやってたっスか? 幽霊屋敷」
 マーカスが尋ねた。さっき大人たちはそんな話をしていた。
「前にも一度だけね」
 マリアは苦笑いしながら答えた。
「その頃はあたしもアンディもまだ子供で、あ、ジョイはいなかったかな。とにかくあたしたちとあと何人かで、ハロウィーンの夜にパーティか何かに出かけたの。夢中になってたら帰りが遅くなっちゃってね。そしたら……」
 マリアは、居間で酒盛りをしているバクーを見た。
「魔王様がすごーく怒っちゃったみたいで、帰ってきたらアジトが幽霊屋敷になってたってわけ」
 懐かしそうな目で、彼女は居間で笑っている団員たちを眺めていた。
「アンディがね、フィルのところまで来た時に……確か、フランケン・シュタインかなんかだったかな、一歩も歩けなくなっちゃって、わんわん泣き出しちゃってね。あんたたちよりもっと大きかったんだよ? でもね、一人泣き出すと我慢できなくなって、みんなで泣き喚いて、それでようやくバクーたちの懲らしめは終わったんだけど。可笑しかったな、種明かしをされて、わんわん泣きながらゲラゲラ笑ったもんさ」
 ふぅん、と、ジタンが合いの手を入れた。
「面白かったの?」
「うん、面白かった……って言うより、嬉しかったかな」
 その一言に、ルビィがはっとしたように顔を上げた。
 きっと、今この心に浮かんでいる気持ちは、「嬉しい」にとても似ていると思う。
 赤の他人なのに、本気で遊んでくれる、大人たち。
 本気で驚かし、本気で心配し、本気で愛してくれる大人たち。


 ―――嬉しかった。


「嬉しかったから……うちらにも同じことしたん?」
 ルビィは小さく尋ねた。
「うーん」
 マリアは腕を組むと、唸り声を上げてから笑った。
「あはは、あたしたちは、脅かすのが楽しいからもう一度やったのかもね!」
「マリア!」
 ジタンが抗議の声を上げ、マリアはまだ笑いながら、真っ白な顔を人間の顔に戻すため、洗面所へ行ってしまった。
「……知ってたら」
 ブランクがごく小声で呟いたので、ルビィはきょとりとその顔を覗き込んだ。
「ぜってー負けなかったのに」
「そう?」
 ルビィの声は見下したような響きを帯びた。
「あんた、こんなんはボスたちのお遊びやって言うときながら、結構本気で怖がってたやない」
「なっ、んなこと―――」
「そうだよー、本当だと思ってたオレたちの方が怖かったもんな?」
「そうっスよね」
「それはそうずら」
 ブランクは途端に、ガタンと椅子から立ち上がった。
「うるせーっ!」
「も、ちょっと座って食べぇ! お行儀悪い」
「お前も黙れ!」
「黙れ? 黙れて言うたん? なんであんたに命令されなあかんわけ?!」
 こちらも、ガタンと椅子から立ち上がるルビィ。
「あんた、えらそうなこと言うてずっと震―――」
「っ! うるせぇ黙れ!」
「黙らん、絶対黙らん!!」
「わ、兄キ落ち着くっス!」
「そだそだ、やっちまえルビィ!」
 ぎゃあぎゃあと騒ぎ出した子供たちに、大人たちが含んだような、しかし優しげな笑みを向けていたことを彼らは知らない。


 そして、ルビィはいつの間にかすっかり少年たちの輪に溶け込んでしまったのだった。


「アホボケカス!」
「な……」
「間抜け腰抜け抜け作!」
「……」


 ―――少々、馴染みすぎた感も残しつつ。




-Fin-






ハロウィーン@タンタラスでございました♪
私の知力と想像力の限りを尽くした魔王の館は・・・あんまり怖くないですが(笑)
このお話、ネタとして考えてから3年越しくらいのシロモノになってしまいました(^^;)
子供タンタラスでハロウィーンなんて、ちょっと可愛くていいなぁと思ったところから始まったのですが、
如何せん、お化け屋敷ってどんなん? というところにハマってしまい、今日に至りました。
って、別にハロウィーンにお化け屋敷は付き物ってわけじゃないんですけどね。でも奴らならやりそうかなと(笑)
そう、タンパニはオリジナルがたくさん出張ってしまうので、そこも悩みの種なんですが。。

今回のタンパニは、ブランク11歳、ルビィ10歳、ジタンが9歳ですかね。その辺でお送りいたしました♪
久しぶりに書いたけど、やっぱり子供タンタラスもいいっすねー!
子供らしさを表現するのは難しいのですが、おちびなタンタラスたちが一生懸命走り回っているのは、
考えるのも書くのも楽しいです。子供バンザイ(笑)

ということで、皆さまも良い万聖節をお迎えくださいませv
2006.10.7








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