Time goes by...




 清々しい春の空気の中で、ジタンは、う〜ん、と大きく伸びをした。
 アレクサンドリアの長い冬が終わり、ここのところ景色は一気に春めいてきた。
 城のテラスから見える淡い色と淡い香りの花々は、穏やかな風と春の日差しを浴びて、さも嬉しげな表情をしている。
 遠くの山に霞む薄紫色の霧でさえ、季節が巡ったことを感じさせた。


 確かに、季節は巡りに巡っていた。


 三十年という月日は、彼や彼の周囲に様々な変化をもたらしていた。
 かつては勝手気ままに飛び回っていた女王の夫も、寄る年波には勝てぬのか、最近は部屋の中でゴロゴロしていることが多くなった。
 そんな訳で、一年の多くを戦場で過ごす父と政務の手伝いで忙しい母にあまり相手にされない孫のルイスの、格好の餌食となっていたりした。
 最近は目を覚ます時間も昔に比べてずいぶん早くなったものだと、彼の妻ガーネットはこっそり思っていた。
 ―――その麗しの女王陛下にも、着実に変化は訪れていた。
 彼女は、目尻のシワだとか、鬢の辺りの白髪だとかを発見するたびに、鏡の中の自分に向かってため息をつくことが多くなった。
 しかし、見た目にも三十年前からほとんど変わらないままに美しい妻の、どこに憂う必要があるのかまったくわからない夫。
 それどころか、年を追うごとにますます美しくなっていくようにさえ見えるほどなのだ。
 本を読む彼女の横顔に見入りながら彼がそんなことを言うと、彼女は鼻眼鏡越しに、
「そういうの、あばたもえくぼって言うのよ」
 と笑うのだった。



 流れゆく朝靄をのんびりと眺めるジタンの背に、不意に上着が掛かった。
「―――ダガー」
「まだ冷えるわよ。風邪をひくわ」
 彼は、余程の必要性が生じない限り、いつもラフな格好をしていた。
 そう、あの頃と同じように身軽な格好を。
 剥き出しになったままの腕に、春の風はまだ冷たい。
「平気だよ」
「平気じゃないわよ。もう若くないんだから、気をつけなくちゃ」
 ガーネットは口元に笑みを浮かべると、目を閉じて夫の肩に凭れかかった。
 おや、とジタンは微かに驚く。
 こんな人目につくようなところで彼女が甘えたりするのは、本当に珍しいことなのだ。
 ジタンはそっとその肩を抱き寄せた。
「珍しいな、ダガーから誘ってくるなんて」
「もう、ジタン」
 と、目を閉じたままガーネットは窘めた。
「キスしてもいい?」
「ダメよ」
「……ちぇ」
 彼は、いつまで経ってもこんな調子なのだった。
 ガーネットはクスクスと笑った。
 さらさらと、花の香りを乗せた風が彼女の前髪を掠めていく。
 ジタンは縺れた前髪を指で整えながら、
「ダガー、疲れてる?」
 と尋ねた。
 ガーネットは目を開け、その黒い瞳でジタンの顔を見つめ、微笑んだ。
「いいえ、大丈夫よ。エミーが手伝ってくれるから、本当に助かるわ」
「あの子はいい女王になるだろうね」
「ええ、きっとね」


 ―――いつまでも子供たちの側にいてやることは出来ない。
 自分たちは、いつか彼らを置いて旅立たねばならないのだ。
 それが命の定めである以上、誰にも拒むことは出来なかった。
 そして。
 それとは別に、ジタンにはある種の不安が纏わりついていた。
 もしかしたら。
 テラで生を受けた自分の魂は、彼女と同じクリスタルには辿り着けないかもしれない。
 二つの魂は、またも別れ別れになってしまうのではないか……と。
 それでも……例えそれが、自分たちの生まれる前から決められた定めだったとしても、自分はその運命に抗おうとするのだろう。
 ―――どんなことを、してでも。



もう、二度と離したくない。



 肩を抱く夫の手に力がこもった瞬間、ガーネットは、俄かに彼の決意を感じた。
 しかし、彼女は何も言わなかった。
 何か言う必要があるだろうか?
 彼らの間に、言葉では伝えられぬ感情が何度行き交ったことだろう―――



***



 穏やかな春の風は、世界を祝福して過ぎ去っていった。
 それは、幾つもの戦いの中で、まるでぽっかりと空いたように平和な春だった。
 しかし、彼らがそんな穏やかな春を過ごすことは、もう二度となかったのだ。


 ―――なぜなら。


 彼らが、再びこの世の春を迎えることがなかったから……だ。



 時は確実に過ぎ去っていた。
 誰も、彼を引き止めることは出来なかった―――。





-Fin-



あぁぁぁ〜、何か意味深と言うかやっちまったと言うか(^^;)
ごめんなさい。お好みに合わずに気を悪くされた方は本当に申し訳ないですm(_ _;)m
この小説は、この後繋がっていくもろもろの話の序章です。
序章と言うか、次回作がかなりショッキングなので、そのクッション小説(何)として書いてみたんですが、
何か、クッションのはずがこっちもかなりの問題風味になってしまいまして(^^;)
次回作がどんな事になってるか想像できた方は、ぜひ怖いものは見ないでいただきたいと思います・・・
こういうのもわりと好き、とおっしゃっていただける方は、お付き合いくださったら嬉しいな・・・(汗汗)

今回の題名「Time goes by」は、言わずと知れたELTの名曲からいただきました。
時が過ぎ去る、という和訳でいいのでしょうか・・・? 何となくしんみりしますね。
一度過ぎた時は決して戻らないけれど、なかったことにもならない。
だからこそ残されていく「時」がある。
あるいは、それは「命」という名の時なのかもしれない・・・という感じでv(どんな感じだっ!)
まぁ、どんな感じかは次回見ていただくことにして。
さぁ、逃げよう逃げよう!!(どこへだっ!)
2003.4.16




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