<3>



 ベビーシッター役から解放されて、エーコはやっと劇場街へ行くことができた。
 タンタラスのアジトに顔を出したけれど、バンスは不在だった。
「たぶん姉さんの方へ行ってるんじゃないっスかね」
 と、マーカスが親切に教えてくれた。



 商業区へ向かう間、エーコは懐に入れた封筒をずっと指で撫でていた。
 あの日、ビビが自分の手で、木の箱に入れて土に埋めた、封筒。
 忘れてしまったらそれでいいのだと、少し寂しそうに微笑んだ金色の瞳。
 ―――もし必要になったら、エーコが掘って。
 そんな風に、自分が死んでしまった後のことまで考えていたビビに。

 あたしは、何もしてあげられなかった。


 そして。
 ビビ、ごめんね。
 あたしは、こんなに大きくなっても、やっぱり何もしてあげられないのよ。
 ダメな子だって思うけど、でも何もできないの。
 あんたは、あたしなんか手も届かないような遠くへ行ってしまったんだものね……そのことがわかっていたから、あんたはこの手紙をあたしのために書いてくれたんでしょう?

 一度行ってしまったら、二度と帰ってこられないって、わかっていたから。



***



 道具屋に入ると、バンスの姉がいて、わざわざエーコが訪ねてきたことに少し吃驚したような顔をしていた。
 弟を呼んでくれるように頼むと、彼女は少しだけ眉を顰めた。
「喧嘩でもしたの? ここ何日か、ずっと塞いでるのよ、あの子」
「あたしが悪いんです」
 エーコはそうとしか言えなかった。


 店の外の石段に腰掛けて、エーコは彼を待った。
 空がどこまでも青くて、そのどこかに彼の記憶が預けられているのだと思うと、なんだか神秘的で、ひどく遠い存在に感じられた。

 死ぬって、そういうこと?
 生き残るって、こういうことなの?

 店の戸が小さく軋んで彼の気配がしたけれど、盗賊用のブーツは全く足音をさせなかった。エーコは立ち上がりながら、懐に仕舞った封筒を取り出した。
「これ、ビビの手紙なの」
 唐突なエーコの言葉に、バンスがちらりと目を上げた。
 白い封筒は、本当に大切にされていたのだろう、皺一つない綺麗なままだった。
「あの子が、最後に書いた手紙なの……あたしのために」
「エーコの、ため……」
「あたしが必要になったらこれを掘り返していいからって、チューリップの下に埋めておいてくれたの」
「必要に……?」
「そう、あたしにはこれがとても必要だったの。最初はわからなかったけど、ビビが死んでしまった後、どうしてこれがそんなに必要なのかがわかったのよ―――だって」
 エーコは小さく息を吸った。
「ビビは、もう二度と手紙なんて書けないんだもの」
 言いたいことがあっても、もう二度と言えない。
 伝えたいことがあっても、もう二度と伝えられない。
 それは、ビビにとってもそうであり、エーコにとってもそうだった。
「あたしは、この手紙のお蔭でビビに伝えたかったことを伝えられたの。ビビは死んだりしない。あたしが覚えている限り、あんたは死んだりしないのよって」
 エーコは一瞬口を噤むと、徐に封筒を両手で摘んだ。
「でも、もういいの。バンスがそんなに嫌なら、あたしはビビを本当の意味で死なせてしまうしかないもの」
「……え?」
「だからビビは手紙を残したのよ。必要なくなったら、破り捨てられるように」
 白い指がふわりとその方向へ動く寸前に、バンスの両手がそれを止めた。
「―――ごめん」
 バンスは俯いていて、エーコにはその顔がよく見えなかった。
「ごめん、エーコ」
 ぎゅっと、握り締めた両手に力が籠もる。それだけが、バンスの心情を伝えていた。
「おれ、馬鹿だった。エーコがそんな気持ちでいるって、ちっとも気付いてなかった……自分のことばっかり考えて、ホント馬鹿だよな」
「バンス……」
 握ったままだった両手が弛んで、バンスの手がエーコの指を、封筒から剥がした。
「忘れなくていいよ、エーコ」
 そして、少し折れ曲がってしまったそれを、バンスはエーコの手の中に戻した。
「ビビさんのことを生かし続けてる君ごと、おれが好きになればいいんだから」
「でも……!」
「ビビさんのことを死なせてしまうエーコなんて、そんなのエーコじゃないだろ? だから、いいんだ。もう焼きもち焼いたりしない」
 だって、ビビさんはもう二度と伝えられないんだ。
 どれだけ、君が大切か。
 どれだけ、君を想っているか。


 エーコの手の中の封筒ごと、バンスはふわりと彼女を抱きしめた。

「―――大好きだよ、エーコ」



-Fin-





ということで、「千の風になって」の続きのお話を書いてみました〜!
バンエコなのでオリジナル驀進ですが(^^;) でも自分ではビビエコと信じて疑わない(爆)
そして小さなシド君がわがまま放題設定になりました(笑)
他人の変化に敏感なあたりは将来の紳士ぶりが垣間見えているのか…カッコよく成長して欲しい一人です。

さて、今回の題名「優しい雨」も、実は『千の風になって』の歌詞から貰ってきたものです。
そっか、秋川さんの歌では入っていない部分なんですね…
I am the gentle Autumn rain.【私は優しい秋の雨】 ってことで、「優しい雨」。
秋の雨だけど花は桜だったり(苦笑)
この、優しい秋の雨、というのがとってもビビっぽいな〜と思うのでありました。
優しい秋の雨。実は一番好きなフレーズの一つかもしれないです。


2007.5.10





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