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ラリの様子がおかしいのは、実際にはもう少し前からだ。
たぶん……『十二夜』の稽古が始まった頃。
しかし、それは後から考えての話で、ハリーがラリの異常に気付いたのが、ちょうどここ二、三日なのだ。
おかしい。
明らかに何かがおかしい。
もしかしたらもしかするかもしれないけれど、もしかすればするほど踏み込んだらまずい。
独立心の強いラリは、個人的なことになればなるほど、友人を突き放したがった。
そして悪いことに、リアナもそういうタイプなのだ。
困った。
確実に困った。ただでさえ大変なときに、ラリとリアナは両方とも、彼らのリーダー的存在なのだ。
ハリーが困った困ったを心の中で連呼しながら居間を歩き回っていたところ、
「参ったな」
と、呟いた人がいた。
はっとして顔を上げると、ブランクが窓に向かって腰掛けたまま、溜め息を吐いていた。
「どうしたっスか、ボス」
「お、いたのかハリー」
振り向いた彼のボスは、困ったように笑って見せた。
「何かあったっスか?」
ハリーは隣に座ってもいいかと聞いた。
「ああ、いいぜ。いやな、大したことじゃ……あるんだが」
「あるんスか」
軽くコケて見せる少年に、ブランクは少し笑顔になったが、また困り顔に戻ってしまった。
「それがな、ラリが家に帰らせて欲しいなんて言い出してな」
「え? ラリさんが?」
ブランクは、びっくり顔のハリーに一つ頷いて見せた。
「帰るのはまぁ構わねぇんだが、ほら、こういう時期だろう? これから先、朝から晩まで稽古だしな。それに、シナのとこも新しい機械工を雇ったばっかりで、部屋も空いてないから無理だって言うんだが、本人が頑として聞かなくてな」
「理由は?」
「言わないんだ、これが」
「……そうっスか」
「ただ……まぁ、察しはついてるんだが」
ハリーは思わずぎょっとした顔でブランクを見た。
それで、ブランクはハリーも大体のことを知っているらしいことを悟った。
「春先だったか、『この配役は俺への当て付けか』って言ってきたことがあってな。何が気に食わないのか詳しく話させようとしたんだが、結局言わなかった」
さっきジェフリーが「主役をやりたかったんじゃないか」と言ったのを思い出して、あながち間違ってもいなかったのだとハリーは思った。
ラリが演じる役は、リアナに結婚を申し込んで破れ、サファイアと結ばれる役だ。
もし、その役を『当て付け』と言うからには……。
「ラリさんらしくないっス、そういうやり方は」
「確かにな」
落ち込んでしまったハリーのバンダナ頭をぽんぽんと叩いて、ブランクは小さく息を吐いた。
「まぁ、あいつにも思うところがあるんだろう」
そう呟いて、ブランクは立ち上がった。ちょうど彼の妻が居間に入ってきて、「どないしたん、珍しい二人組やね」と言った。
「何の相談?」
「ジェフリーのバカはどうやったら治るかの相談」
「あぁ、それやったらこの世が終わりを迎えようとも、無理やわ」
ルビィは豪快に笑った。
***
ハリーが部屋へ戻ると、ラリが自分の荷物を片していた。
「本気で出て行くんっスか」
ラリは無言のまま、手を止めなかった。
「逃げるんスか?」
「俺とお前は違う」
不意に、冷たく低い声で、ラリはそう返した。
「……どういう意味っスか」
「欲しいものをただ黙って見ているなんてこと、俺にはできなかったんだ」
その言葉に、ハリーは思わずラリのそばかす顔を覗き込んだ。
「『できなかった』って、なんで過去形なんっスか?」
ラリが自嘲めいた表情をしたので、ハリーは何となく合点がいってしまった。
「キスしたら蹴り飛ばされたずら」
荷物を詰める手を止めて、ラリは不意に明るい調子でそう言った。
「『ふざけないでよ、何の真似?』だとさ」
頭の後ろに手を組むと、彼はごろりとベッドに横になった。
「それで気まずくなってるっスか」
「まぁ」
「謝ればいいじゃないっスか」
「謝って済む問題か?」
「なら、なんでそんなことしたんっスか」
「さっき言ったずら」
ラリは寝返りを打つと、眼鏡の奥の瞳を光らせてハリーを見た。
「おいらとハリーは違うずら。毎日傍で見ててムカつかないなんて、理解できないずら」
「俺は」
ハリーは少し俯いた。
「サフィーさんが楽しそうにしてるのを、見るのが好きなんっス」
「大層なセリフずら」
「本当のことだから仕方ないっス」
ハリーがそう言うと、ラリはひょいっと起き上がった。
「いつまでお人好しを続けるつもりずら? 永遠に?」
ラリがからかうように言うと、普段は至って穏やかな彼が、珍しく睨み付けた。
「そうっスよ、永遠に」
彼女がタンタラスに来たとき、彼女は既に旧友の恋人だった。
ひまわりのように明るい性格が好きだった。時々、不安そうに揺れる青い目が好きだった。
けれど、気持ちは決して伝えないと心に誓った。
ジェフリーの隣で笑っているのが、彼女には一番似合っていたから。
ラリはちらっとハリーを見ると、溜め息を吐いた。「馬鹿らし」と呟き、まとめていた荷物を放っぽらかして、昼寝を決め込んでしまう。
なんだか、何もかもがどうでも良い気のする、午後だった。
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