この世に生を受けた意味 <1> シュッと闇を舞った槍の切っ先が鼻先一寸で止まる。 ジタンはギクリとして、伸ばしかけた手を引っ込めた。 「何奴じゃ」 少しでも動けば槍が唸りを上げて襲いかかってきそうだ。 ジタンは目だけで、自分の右側にすっと立った人物を見ようとして、失敗した。 視界にさえ入らない黒い影。 「―――えっと……」 つっと冷や汗が頬を伝った。 その瞬間、ぴたりと向けられていた矛先がふっと消えた。 「なんじゃ、まだ子供ではないか」 ―――カチン。 「子供じゃないぞ、オレ!」 ジタンは勢いよく振り向いて叫んだ。 「ほほぉ。では、餓鬼かの?」 ムッカ――――っ! 「失礼なこと言うなよ、ネズミ女!」 「子供ならば見逃してやろうと思ったが、そうか、権利を主張致すなら警備隊に突き出さねばの。盗みの罪は軽うないぞ、少年」 と、ネズミ女は不敵な笑みを浮かべた。 「―――――っ!」 声にならない反抗心をその青い目に表し、思いっきり睨み付けてもネズミ女は怯まなかった。 「ほれ、さっさと消えるがよい。素人が盗みなどするものではない」 「素人じゃない!」 ジタンは悔し紛れに怒鳴った。 「ほぉ。と、申すと?」 「盗賊団で育ったんだぜ、オレ」 「なるほど。似非盗賊団か」 「ちゃんとした盗賊団だよ! リンドブルムのタンタラスっていう―――!」 というところでジタンはぱっと口に手を当てた。 「正直者じゃのう。……しかし、リンドブルムから来たのか、おぬし」 ネズミ女は意外そうな顔をした。 「一人で参ったのか」 「―――うるさい!」 「なかなかに見上げた根性じゃな」 「うるさいっ!」 ぶんむくれてジタンはそっぽを向いた。 「面白い。ちょうど暇をしておったところじゃ、子供の相手も暇つぶしにくらいはなろう。おぬし、腹が減っておるのではないのか?」 ―――う。 「図星か」 ネズミ女は楽しそうに笑った。 「私はフライヤ。ちと聞いてみたいことがある。どうじゃ、夕餉でも驕ろうぞ」 *** ここはアレクサンドリア。 白い剣塔の城と、赤い煉瓦屋根の町並み。 ガツガツがっついている少年の向かいの席で、フライヤは興味深げに瓦版を見ていた。 「―――ふむ。ガーネット王女十四歳の誕生日まであとひと月、か。アレクサンドリア始まって以来の美姫……。おぬしも同じ様な年頃じゃろう?」 「ふん」 と、これは決して鼻息ではなく、一応返事なのでご注意を。 フライヤは思わず苦笑した。 「そんなに詰め込んで食べるものではない。喉に詰まらせるぞ」 ジタンはゴクンと一口飲み込んでから、尋ねた。 「ところでさ、聞きたいことって何?」 「おお、そうじゃった。リンドブルムの狩猟祭のことを聞こうかと思うてな」 「狩猟祭?」 「大陸中の名手が集まると聞いておるが」 「ああ、うん。確かにそうだな」 ジタンはこくこくと頷いた。 「フラットレイ、という名を聞いたことはないか?」 「フラットレイ? ―――さぁ」 「……そうか。リンドブルムにもおられぬか―――」 フライヤは一瞬悲しげな目をした。 「今年の狩猟祭はオレいなかったからわかんないけど―――そのフラットレイがどうかしたの?」 「うむ。三年も前になろうかの。突然国を出たまま、行方がわからぬのじゃ」 「へ―――」 と、気のない返事。 「どこぞで命果てたという噂を聞いての、後を追って国を出たのじゃが」 「じゃ、その人ってもしかしてフライヤの恋人なんだ」 くるりとした目で無邪気に尋ねられ、いつもは決してそんな短絡的なことはしないのに、フライヤは思わず頷いた。 「――――へぇ」 と、ジタンは半目になって気のない返事をする。 「でさ。そいつって強いの?」 「ああ、それはもちろん」 「フライヤよりも?」 「私など、足元にも及ばぬ」 「じゃ、生きてるよ」 「―――?」 二、三度瞬きしたフライヤにニコッと笑いかけ、ジタンは大きく頷いた。 「だって、フライヤって強いだろう? それよりもっと強い奴がそう簡単に死ぬわけないじゃん」 「―――そ、そうかの……」 「そうだよ」 少年特有の笑顔でもう一度頷くと、彼の頭の中は再び食べ物で一杯になった。 フライヤは気付かれぬように、ほっと溜め息をついた。 ……確かに。フラットレイ様ほどの竜騎士がそう簡単に果てるわけないやも知れぬ。 ここ数年抱えていた心の闇が軽くなったような気がした。 「―――ところで、おぬしは何故一人でこんなところまで来たのじゃ?」 フライヤはふと顔を上げ、ジタンに尋ねた。 が。 突然話し掛けられ、少年は喉に食べ物を詰まらせた模様。 盛んに胸を叩いている。 「ほれ、言わんこっちゃない。仕方のない奴じゃのう」 ドンドンと背中を叩いてやると、ようやく食べ物が喉を通過したらしく、再び饒舌に喋り始めた。 「オレはさ、故郷を探して世界を旅してるんだ」 「―――故郷?」 「そ、ふるさと。オレが生まれた場所」 「……ほぅ。それはまた大変じゃな」 「うん。だって、記憶がないからさ、故郷の。オレ、四つの時にボスに拾われてタンタラスで育ったんだけど、それより前の記憶ってほとんどないんだ」 「それはまぁ、四つと言ったらまだほんの幼子じゃからな。何も覚えていなくても致し方あるまい」 「うん―――」 少年の元気に輝いていた瞳がふと曇る。 「何じゃ? 如何した」 「ん? うんん、何でもないけど……フライヤさ、『青い光』ってなんだと思う?」 「青い……光?」 「うん。オレがたった一つ覚えてる故郷の記憶なんだ。それだけが頼りなんだよな……」 「どのような光なのじゃ?」 ジタンはう〜ん、と腕組みした。 「なんか、深くて透き通ってて、でも―――怖い感じ」 「怖い?」 訝しがるフライヤの顔を見つめて、ジタンは頷いた。 「オレは海かな、って思ったんだけど」 「なるほどのう」 「でも、違った」 「?」 ジタンは項垂れると、小声で呟いた。 「だって、もっと一面青い感じなんだ。青い光に包まれて、冷たい感じ」 フライヤは戯けたように首を傾げた。 「ふむ。一面青いとなると、海の中かのう?」 「―――」 少年が俯いたまま黙り込んだので、フライヤはその顔を覗き込んで眉を顰めた。 「……これ、泣くでない」 「―――泣いてないっ!」 「すまぬ、からかったりして悪かった」 フライヤは素直に頭を垂れた。 ジタンはますます俯いて顔を隠し、袖口でぐっと目元を拭ってから顔を上げた。 そして、ニッと笑って「うそ泣きっ!」とふざけた口調で言った。 フライヤはばつの悪そうな顔で苦笑した。 ―――随分と、本気で探しておるのじゃな。……可哀想に。 「どうじゃ、同じように探しものをする仲じゃ。しばらく共に行動せぬか?」 「―――え?」 ジタンは目を丸くした。 「おぬしほどの手並みでは、ここまで大層苦労したのではないか?」 「―――!」 少年は頬を膨らませた。 「バカにしてるだろ」 「そうではない」 フライヤは首を振った。 「旅は道連れと申すもの。旅人同士、助け合うのも悪くはないじゃろう」 「オレじゃ、フライヤの助けにはならないと思うけど?」 真面目な顔でそう返す少年に、彼女は笑い掛けた。 「それもそうじゃが」 |