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 アレクサンドリア駅から山頂の駅行きの鉄馬車に乗った時も。
 やれ鳥が飛んでいるだの、遠くにアレクサンドリア城が見えるだのと騒ぎ通し。
 山頂の駅で念願のまんまるカステラを頬張って、誰それの好物だの、フライヤも食べろだのと五月蝿くしていたというのに。
 山頂の駅からボーデン駅行きの鉄馬車に乗り継いでしばらくすると、ジタンは窓の外を眺めたままむっつりと黙り込んでいた。
 ボックスシートの向かいの席に腰掛け、フライヤは、今度は何かと溜め息をついた。
 青い目は遠くの一点を見つめて動かない。
 後ろ向きに振り向き、窓の外を見る。
 遠くに見えるのはリンドブルム城―――か。
 ―――なるほど、ホームシックじゃな。
 フライヤは納得して一人頷いた。
 四つから育った故郷同然の街を飛び出したのは、彼が十三になって少しした頃だったという。それから一年以上もたった一人で旅してきたとなると、そろそろ家が恋しくなっても当然だ。
 ―――迷い猫を家へ帰さねば、のう。
 フライヤはどうしたものかと思い巡らせながら、窓の桟に頬杖をついて少年を見ていた。
 しばらくすると、街影も霧で見えなくなったのか、両足をシートに抱え上げ、膝に顔を埋めてしまった。
 ―――またか。
 フライヤは黙って立ち上がり、通路を挟んだ向かいのボックスに座り直した。
 早朝の鉄馬車はまだ乗客も多くない。
 フライヤは窓から外を見た。
 霧。深い深い、霧。
 この霧の下、遙か向こうに祖国ブルメシアはある。
 今日も変わらず雨が降っているだろうか―――。
 フライヤは小さく頭を振った。
 ―――どうも感傷的になっていかんのう。どうやら、伝染ったようじゃな。
 苦笑混じりに笑ってから、フライヤは隣のボックスを振り返った。
 ジタンは窓ガラスにもたれて、膝を抱えたまま眠っている。
 ―――そういえば、昨夜起こしてしまったのは私じゃったな……。
 フライヤは目を細めて微笑んでから、再び窓の外を見やった。


 鉄馬車がボーデン駅にたどり着いた頃には、外はもう不機嫌な空模様になっており。
 ボーデンアーチをくぐると、小雨が降っていた。
 平然と歩いていこうとするフライヤを、ジタンが非難囂々で止めた。
「フライヤ、雨降ってるよ!」
「そんなこと、見ればわかるではないか。それが如何したか?」
「……濡れるじゃん」
「何、この程度の雨。低地は気温も暖かいし、大丈夫じゃ」
「フライヤは大丈夫でもオレはイヤだよ」
「なら、置いてゆくかの」
 フライヤがふざけて肩を竦めると、ジタンはふくれっ面になり、しかし文句を言いながらもついてきた。
「ブルメシアって、いつも雨が降ってるんだろ?」
「そうじゃな。一年のうち三分の二は雨じゃな」
「ひょえ〜。鬱陶しくないの?」
「はて、我々にとっては普通じゃな」
 ジタンは持っていた革の鞄を頭に乗せて溜め息をついた。
「リンドブルムは滅多に雨なんて降らないよ。雨が降ると外で遊べないから断然つまんない」
「子供的観測じゃな。しかし、雨でも外で遊べばよいのに、人間とは面倒な生き物じゃ」
「ネズミ族がおかしいんだと思うけど」
 と、ジタンは迷惑そうな顔で言った。


 川を渡り、霧の平野を進むうち、ジタンはあることに気付いて立ち止まった。
「なんじゃ」
「―――どこ行くの?」
「どこでもよいじゃろう」
「……リンドブルム行くの?」
 気付いてしまったか、とフライヤは小さく息をついた。
「そうじゃ。間もなく狩猟祭じゃろう?」
「なんで言わないんだよ!」
「言えばおぬしは嫌がるじゃろうと思うてな」
 ジタンは怒ったように顔を背けた。
「帰りたいのじゃろう、本当は」
「帰りたくなんてない!」
「故郷を探すのなら、何もタンタラスを出なくてもよいではないか」
「だって!」
 頑として立ち止まったまま、ジタンは頬を膨らませた。
「だって、タンタラスにいたままじゃ、自由に動けないし……」
 と、俯く。
「それに……なんか、嫌なんだ。よくわからないけど。みんなを巻き込みたくないって言うか、その―――」
 フライヤは黙ったまま。
 ジタンはぎゅっと両手の拳を握り締めた。
「甘えたくないって言うか―――ちゃんと、けじめつけなきゃダメなような気がして……」
 小さな声はやがて風の中に消えた。
 フライヤは溜め息をついた。
「それで、一人広い大陸を旅してみて、何かわかったのか? 手がかりは掴めたのか? 駄目なのじゃろうが。……なら、帰ればよいのじゃ」
「諦めたくない」
「諦めるのとは違う。探し方を変えればよいということよ。宛てもなく彷徨い続けても、もう得るものは何もないじゃろう。得られるのは―――絶望だけじゃ」
 ジタンはふと顔を上げた。
「……フライヤ?」
「おぬしの気持ち、わからぬわけではない。私とて、故郷を夢見ておりながら帰ることもせず、もう手がかりも何もないというに、この大陸を当所なく彷徨っておる。そして、結局得られるのは絶望という闇のみなのじゃ。私とてわかっておる……しかし、私にはもう、この旅をやめるだけの勇気もない。私には、帰るところがないのじゃ。しかし、おぬしは違うであろう。おぬしには帰るところがある。ならば、素直に帰ればよいと私は思うぞ」
 ジタンは再び俯いた。
 二人の間を、風に乗ってただ霧が流れていった。






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