<2>



「あのまま放っておくん?」
 そう訊かれた時、ガーネットは未だ物憂げな顔で、相変わらず冬の空ばかり見上げていた。
「何かあったん?」
「うーん……」
 何かあった、とはっきり言えるほどの何かがあったわけではなかった。
 しかし、ジタンとガーネットの間には、はっきりとその「何か」が見えていた。だから彼は逃げ出し、彼女はそれを放り出した。
「ケンカ?」
「いいえ。ジタンはどうしてるの?」
「うーん……」
 今度はルビィが唸る番だった。
「それが、昔のカノジョ?の家に入り浸りみたいやねん。いや、カノジョやなかったと思うねんけどな、本人が言うにはそうやったらしいねん」
 でな、とルビィは言葉を続けた。
「何でもその元カノ?の具合が悪いねんて。結構貧乏しとるらしくて、子供もおるしで」
「それで面倒を?」
 いかにもジタンらしいと思う。人が見れば、あらぬ疑いを掛けられかねない。
 ただ、ガーネットがそれを「そう」と思うはずがないことを、彼もきちんとわかっているのだ。そして、だからこそ始末が悪いとも言える。
 ガーネットが迎えには来ないだろうことを、彼は知っている。だから、彼は自分の力でここへ帰らなければならないのだ。それなのに、彼女が「そう」と思ってヘソを曲げたりしないことをわかっているから、彼はまた余計に帰れない。
「で、その元カノ?が、子供はジタンの子やって喚いたらしくて……そんなん実際はありえへんわけやけど」
「――そうなの?」
「そや。計算したったら、その時期あいつがリンドブルムにおらんかったことがわかってん。せやから、子供は別のオトコの子供」
 ガーネットは「そう」と呟いた。
 その子がジタンの子だったらどうなっていただろうか? でも、決してそんなことにはならないことを、ガーネットは知っていた。
「せやけど、昔の知り合いやし、子供も放っておかれへんからって、なんやかんや面倒見とるわ。ブランクもうちもみんな、早うアレクサンドリアに帰ればええって言うとるんやけど」
「いいのよ。誰かを助けるのがジタンの仕事だから」
「ダガー」
 ルビィが編み物の手を止めて、溜め息を吐いた。
「あんまり大人ぶっとると損するで、あんた」
 ガーネットは曖昧に微笑んだ。


 たまたまアレクサンドリアへやって来たルビィが、そうやってジタンの近況を伝えてくれたのはありがたかった。
 しかし、彼の状況を知ったところで、ガーネットにはどうすることもできなかった。


 相変わらず眩暈は治まらず、相変わらず気分が沈んだ。
 きっと、ジタンがここにいたとしても、どうすることもできなかっただろう。

 この子が運命を背負って生まれてきたとしても、わたしたちにはどうすることもできない。

 ガーネットは胸の中で、無意識のうちにそんな言葉を呟いていた。



***



 故郷の街で、昔馴染みにばったり出くわした。
 面影がなかったわけではないけれど、彼が知っていた彼女とはほとんど別人になっていた。
 息子を一人連れていた。痩せて骨ばかりの子供だった。


 わかっていた。こんなのはただの言い訳に過ぎない。どこかで渡りに船だと思っている自分がいるのも、わかっていた。
 それでも、ジタンはどうしてもアレクサンドリアへ帰ることができなかった。
 ガーネットは黙って全てを受け入れてくれた。するりと窓から出てゆく自分に、優しい言葉を掛けてくれた。
 けれど。本当は、そんな曖昧で意気地のない自分を、もう諦めているのではないか。心の中ではすっかり厭きれてしまっているのではないか。
 そんな気がして、どうしても帰ることができなかった。

 薬も買えないという昔の知り合いを、ジタンは手厚く介抱した。子供には栄養のあるものを食べさせ、雨漏りする屋根を修理し、壁にペンキを塗った。
 昔の知り合いだから、体を悪くしているから、子供が不憫だから、色んな理由をつけて自分を誤魔化した。
 それでも誤魔化しきれない自分の心から顔を背け、ジタンは毎日彼女の家へ通った。


「ジタン」
 ある日、出掛けにブランクが名を呼んだ。
「何だよ」
 ぶっきら棒に返事をする。ここのところは毎日、早く帰れと繰り返し諭されていた。また同じことを言われるのだと身構えた。
「お前、アレクサンドリアへ帰れ」
「だから、何度も言っ――」
「聞け。ダガーが倒れたらしい」
 ジタンが口答えする前に、ブランクはそれを遮った。右手には小さな白い紙片を握っていて、それをジタンにも示した。
 エーコが寄越したメモ書きのような手紙だった。
 ダガーが仕事中に気を失って倒れたのだと、走り書きされていた。
「お前に早く知らせてくれって言ってる」
 ブランクは手紙ごとジタンに渡すと、溜め息を吐いた。
「馬鹿だとは思ってたけど、お前がこんなに馬鹿だとは思わなかった」
「……」
「もう一度よく考えろよ。何が大事なのか。何を守るべきなのか」
 そんなことは、もう一度考えずともわかっていた。
 わかって、逃げていた。
「医者の見立てじゃ命に別状はないってことだとさ」
 ブランクはそう言って、ジタンの右肩をぽんと叩いて出て行った。






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