ダガー、髪を切る






 城や町並みから少し離れたその場所は今まで見てきたどの場所よりも長閑で、湖面から穏やかな風が吹き込んでいた。白い鳩が数羽、芝生の上に蹲って静かな時間を満喫しているようだ。
 今の季節はまだ花の咲いていない蔓薔薇が緑のアーチを作っている。
 ジタンは一瞬立ち止まった。
 白い石のステップを駆け上がり、ようやく見つけた黒髪の少女に、囁きかけた。
「探したぜ、ダガー……」
 母の墓前で目を閉じ、俯いていたガーネットは顔を上げた。
 振り向いて、ジタンの顔を見つめ。
 一瞬、決意を固めるかのように胸に手を当てた。
「ジタン!」
 ―――はっきりと、そう言った。ジタンは驚いて目を見開いた。
「喋れるようになったのか!?」
 彼女は頷いた。
「わたし……。―――わたし……、あれからずっと考えてたの。これからわたしが女王になって、アレクサンドリアの平和を取り戻さなきゃ……。そう思って、ここへ帰ってきたんだけど……」
 躊躇うように俯き、閉じた瞼を長い睫が縁取る。再び開かれた瞳には、戸惑うような光があった。
「もう少し、ジタンたちと一緒にいてもいいかな?」
 ジタンは瞬きした。
「どうしてだい? 理由を聞いてもいいか?」
 ガーネットは数歩歩き、木々の間から、夕焼けの空を見た。
「わたし、お母さまが生きていたころは……」
 一瞬、苦しげな表情をする。
「どうすれば、王女らしく話せるか、どうすれば、王女らしく振る舞えるか。そんなことばかり考えていたの……。お母さまが亡くなって、わたしが女王になろうとした時も同じ……。どうすれば、女王らしくなれるのか、どうすれば、女王らしいと見てもらえるのか――――」
 口を閉じ、遠くを見つめる目が曇る。
 ……しばらくして、再び言葉が紡がれ始めた。
「でも、いまのわたしがどんなに頑張っても、きっと国民からは女王と認めてもらえないわ……」
 ジタンは腕組みし、難しそうな顔をした。
「う〜ん、そうかなぁ?」
「わたしにこの国を守っていく資格なんてないの……」
 ガーネットの呟くような声には、深い悲しみの色が混じっていた。
 ジタンは腕組みしたまま、考えた。
 彼女は、強くなったと思う。
 彼女は、ひと月前より、様々なことを知るようになった。
 それは、彼女にとって辛いことだったかも知れない。―――何も知らなければ、幸せな姫君でいられたのかも。誰かを頼って、もっと楽に生きられたのかも……。
 彼女は、自分のことは自分でしなければならないことを知ってしまったから。
 それを知って、彼女は逃れられない運命に束縛された。
 そう、他人が思うより、彼女の責務はずっと重かったのだ。
 「自分のこと」=国のこと、だから。「幸せ」という言葉は、すなわち国民の全ての「幸せ」なのだから。
 ―――自分ひとりの幸せだって手に入れるのは難しいのに。
 アレクサンドリアという巨大な国の国民全てを幸せにするなんて、この細い肩には荷が重すぎるだろう。
 そんな責任は、傷つき、疲れ果てた心には、重苦しい、黒い影でしかないだろう。
 何か、彼女の心の闇を打ち砕く手立てはないのだろうか?
「う〜ん……」
 ジタンは数歩、陽だまりの石畳を歩いた。ポケットに手を突っ込むと、つるりとした冷たい感触。
「あっ! そうだ!」
 ジタンは丸い石を、手に取った。
「ベアトリクスからこれを預かってきたんだけど……」
 反動をつけ、空へと放り投げる。弧を描き、赤い丸い石はガーネットの手の中へと落ちた。
「これは……ガーネット?」
「そう、ガーネットさ……。綺麗な宝石だろ?」
 深い、赤。日の光に煌く。
「とても輝いてるわ……」
 ガーネットは呟いた。
 ジタンはにっこりと笑った。
「その宝石はね……最初はどこにでもある石ころだったんだ」
 ガーネットは不思議そうな表情でジタンを見た。
「だけど、その石は、こう願い続けた……。―――『わたしは輝きたい!』」
 ぴょんと一歩、前へ進み出る。
「その願いを手掛かりに、石は人から人へと渡り……。そして今、ダガーの手の中で輝いているんだ!」
 ガーネットはまじまじと自分の手の中の宝石を見つめた。
「ダガーが輝く勇気を持ちさえすれば……きっといつか輝ける!」
 ジタンは俯いたガーネットの顔を覗き込んで言った。
「アレクサンドリアが君を必要とする時は必ず来る。君がアレクサンドリアを必要とした時に必ず! 焦らなくてもいいさ! 大切なのは輝きたいと願うことなんだよ!」
 ガーネットは、しばらく黙り込んでいたが、やがて、こくりと頷いた。
「ありがとう……」
 小さな声でそう言った。
「わたし、謝らなくちゃ……。中途半端な気持で一緒にいたいなんて言って」
「言葉は中途半端でも、一緒にいたいという気持が本当だったらいいさ……」
 ガーネットは頬を少しだけ赤くして、もう一度頷いた。
 そして。
「ねえ、ジタン……。また、あの時のあれを貸してほしいんだけど……」
「あの時のあれって?」
「あの時……わたしに大きな決意をさせてくれた……」
 細い腕が伸び、ジタンの腰に挿してある短剣を素早く抜き去る。どこで覚えたのか、一度空へと放り投げ、ジャグリングしてみせた。
 ジタンはというと、呆気にとられてポカンと見ているだけ。
「これを貸してね」
 と言うと、ガーネットは湖に向かって走り出し。
 一瞬、緑のアーチの下で立ち止まると、振り向いた。
「ジタン……、今までのわたしを覚えていてね……」
 その顔には、強い決意の表情があった。
 ジタンはびっくりして、もう少しで転びそうになった。


 慌てて後を追い、湖の畔へ出る。
 ガーネットは湖の方を向いたまま堤防の縁に立ち、ジタンから奪った短剣を黒いつややかな髪に当てる。
 すぅっと、刃が髪の毛に吸い込まれていくのが見え、ジタンは蹴躓きそうになりながら、ようやく立ち止まった。
 次の瞬間、彼女の長かった黒髪はばっさりと、その主から切り離された。
 風に乗って、彼女の手から離れ、空へと還っていく。
 閉じていた瞼が上がり、彼女の黒い瞳が新しい光を放つ。
 ばっさり短くなった髪が、彼女の耳元でさらさらと風の音を奏で……。
 ガーネットは振り向いた。
 驚いた表情でその様子を見守っていたジタンは、彼女の気持ちを受け取って、微笑むと、一つ大きく頷いて見せた。
 ガーネットも微笑んでから、ゆっくりと頷いた。


―――「王女」でも「女王」でもなく、わたしは「わたし」を生きたいの。―――



 口にはしなくても、ジタンにはガーネットの言葉が聞こえた。
 心を通じて、確かに聞こえた―――。





 今はまだ崩れ落ちかけたままの城影が、彼女の新しい旅立ちを祝福しているようだった。

  一緒に、生まれ変わりましょう、と。

  生まれ変わったあなたを、生まれ変わった私が待っていますから―――。


  ―――いってらっしゃい。


 ……と。



-Fin-


頑張った、ジタガネ。このシーン好きで、久方振りに見たら書きたくなりました♪
セリフが全部そのままってのはどうなんだ、っていう気もするが・・・。
日本語ヘベレケだし(ぉぃ)
一応、ジタンが出てくる&ジタガネ風(笑)リクエストの通りに。
・・・仰せのままに、緋焔女史(笑) いかが?(いかがもなにも^^;)
2002.9.24



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