<10>



 二日後。
 アレクサンドリア内務大臣の元に、シド大公の名代としてエーコ嬢が訪れた。
「父から書状を預かって参りました。どうぞお納めくださいませ」
 儀礼に乗っ取ったお辞儀をすると、エーコは側にいた使者に手紙を渡させる。
「まさか、エーコ嬢直々においでいただくとは」
「大変大切な手紙なので、本来ならば直参したいところなのですが、と父が申しておりました」
「それはそれは……」
 受け取った手紙を読み、内務大臣は顔色を変えた。
 ―――先日の事件は誠に遺憾であり、この先このようなことが起らぬよう、当方からガーネット女王の婚儀に関する取り決めに一切異論を立てるつもりはない。しかし、ジタン・トライバルはリンドブルム国民に人気の高い人物であり、安直に国外退去とするわけにもいかぬ事情をお察し願いたい。免職については現在検討中であるが、名誉職につき、よき知らせは叶わぬものと存ずる。
 彼は怒りの篭った顔を上げた。
 しかし、文句を言おうにも、名代は年端のいかぬ娘。
 しかも、シド大公の娘ときたものだ。
「どうかされましたか?」
 天真爛漫に聞き返され、内務大臣は溜め息をついた。
「いえ、その……返事は追っていたしますので」
「困ります」
「は?」
「父に申し遣ってきたのです。必ずよいお返事をいただいて帰ってくるように、と」
「しかし、議会を通しませんと……」
「なら、待たせていただいて構いませんでしょうか?」
「はぁ、しかしですね……」
「とても重要な内容の手紙だからと父から言われているのです」
 頑固なまでに強い語気。
 そこで、内務大臣ははたと気付いた。
 なんと。自分の娘を人質としてアレクサンドリア城に置く、という意味か?
「―――わかりました。エーコ嬢をお部屋へご案内しなさい」
 側に控えていた兵士に命じると、内務大臣はすぐに貴族議会を開会する準備を始めた。


「ダガー!」
「エーコ?」
 ひしと抱きついてきた少女に、ガーネットは目を丸くした。
「ダガー、ああ、ダガー! エーコ心配したわ!」
「どうしてここに?」
「お父さんに言われて来たの。あ、そうだ。お父さんから、手紙よ」
 私的な書簡のやり取りが叶わぬガーネットの元へ手紙を届けるには、厳戒な検問を苦労して潜り抜ける必要があったが、エーコはどうしてもこの手紙を届けたかったのだ。
「お父さんもお母さんも、ダガーのことすごく心配していたわ」
「そう……シドおじさまとヒルダおばさまが」
「ほら、早く手紙読んで!」
「ええ」


 ―――ガーネット姫
 辛いことが続いて、体などを壊していないか心配じゃ。今度のことでは、わしもヒルダも胸を痛めておる。しかし、信じれば必ず良い結果が得られるはずじゃ。今は堪え忍んで、気をしっかり持って欲しい。
 アレクサンドリアとリンドブルムとの間の不穏は、恐らくそなたにも届いておることじゃろう。大丈夫、決して穏やかならぬことなどは起こさぬよう、わしが力を尽くそう。エーコはそのために、アレクサンドリアへ遣わした。本人も理解しているようじゃ。何なりと、エーコに申し遣わすとよい。必ずそなたの力になろう。
 ジタンは、無事タンタラスの方へ帰り着いたようじゃ。まだわしも会ってはおらぬが、怪我などもないそう。安心せよ。




「ダガー、泣いてる?」
 手紙に顔をうずめて震えだしたガーネットを見上げ、エーコはうろたえたように聞く。
 ガーネットは首を横に振ったが、その場にくずおれてしまった。
「ダガー!」
 エーコはガーネットの背中に手を回して、自分より大きな体を抱きかかえた。

 ―――何もかもがおかしな風に動いていってしまう。
 まるで、時計の歯車が一つ、何かの加減で狂っただけで、その時計が止まってしまうのに似ている。
 そうなったら、もうどうすることもできない。時を刻む音は永遠に止まってしまうのだ。
 でも、ただ一つ望みがあるとすれば。
 彼は、生きている……!






BACK      NEXT      Novels      TOP