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「なぜです、父上!」
騎士の格好をした丈高い青年が、必死な形相で父親に詰め寄ったのは翌朝のこと。
「なぜも何も、お前に怪我を負わせたのはあの男だろう」
「違います! 私は怪我などしていません! そんな話……誰の差し金ですか!」
「馬鹿なことを言うでない!」
リンゼン卿は息子に怒鳴り声をあげた。しかし、ハロルド・リンゼンは怯まなかった。
「彼は、ジタン・トライバルは、私に怪我をさせぬよう、わざと剣ばかり狙ってきたのですよ? その彼が、なぜ私に怪我を負わせることができますか! プルート隊のスタイナー隊長が証言してくださるはずです!」
「スタイナー殿なら、もうアレクサンドリアにはいない」
「―――?!」
「彼はダリ村へ行った。間もなく隊長職から免職される予定だ」
「な、なぜですか!?」
「お前も知っているだろう。あの男と、スタイナー殿の仲を」
「前の大戦での戦友と……」
「そう。だからスタイナー殿は、お前の怪我のことをひた隠し、闇に葬ろうとしたのだ」
「まさか! 本心でおっしゃっているんですか、父上!?」
「……」
リンゼン卿が、ふと良心の呵責に苛まれた表情を見せ、ハロルドは一瞬戸惑った。
なんだ?
何が父上をここまで追いつめる?
「ジタン・トライバルは出自が不明であり、元盗賊の身分。やはり、そんな血筋をアレクサンドリア王家に入れるわけにはいかんのだ」
もう、何度聞いたか知れないその言葉。
「わかってくれ……」
最後の言葉は、自分に向けられるにはあまりに切実な響きが籠もりすぎていた。
ハロルドは口唇をかみ締めた。
父上も、悩んでいるのだ。
でも、このままにはしておけない……!
どうすれば―――
『ジタン、ダメ! 傷つけないで!』
ひどく慌てた響きで、聞き慣れた声が叫ぶ。
その声に、一瞬、声の主ガーネット女王を振り向くジタン。
その隙に相手の剣先が舞い踊って頭上に振り下ろされる。
女王が小さく悲鳴を上げた。
が、身軽な彼のこと。剣先は彼の頬にわずかにかすり傷を作るだけだった。
次の瞬間、再び女王の叫び声がした。
『スタイナー、スタイナー! 止めて! 止めてちょうだい!』
無理だ。
果し合いを途中で止めるなど、騎士の風上にも置けぬ。
騎士道に反する。たとえ君主の願いでも……。
『スタイナー!』
『陛下、危のうございます!』
ベアトリクスの部下か誰かが、女王を城へと引き戻そうとする。
『スタイナー!』
金切り声。
ジタンの動きが鈍い。
止めた方がよいか? それともこのまま、奴が勝つのを見届けるか?
シュッと舞う短剣の先が、次第に相手の騎士剣に集まり出す。
何を?
まさか、剣を払うつもりか?
相手はなかなかに腕の立つ剣士であるのだぞ、ジタン!
『スタイナー!』
未だ、女王は叫んでいる。
確かに、昨今の果たし合いで実際に命を掛けることは少なくなったが。
切り捨てれば勝敗など最初からついているというのに。
ジタンよ、なぜそこまで……。 |
「スタイナー」
不意に呼ばれ、スタイナーは顔を上げた。いつの間にか、女王ガーネットが彼の前に立っていたのだ。
「こ、これは、陛下。失礼致しました」
スタイナーは立ち上がり、敬礼した。
「何か考え事をしていたの?」
ガーネットは優れない顔色ではあったが、いつものように麗しく微笑んだ。
「はっ、あ、いえ、その……」
あの果し合いを追想していたなどとは言えず、口篭った。
「彼は、行ったわ」
ガーネットは小さくそう告げた。
「は……?」
「私がそうお願いしたの。たぶん、リンドブルムへ帰ったと思うわ」
「そ、そうでありますか……」
「どうして止めてくれなかったの!?」
語気が強くなる。
「ジタンは、知らなかったはずよ。貴族を傷つけた者は国外退去、もしそれが平民なら、死罪または永久追放……! スタイナー!」
スタイナーは跪いた。
「申し訳ありません」
「謝ってなんて欲しくない!」
「申し訳ありません」
「あなたがいくら謝ったって、もう彼は戻らないのよ!」
「申し訳ありません……」
ガーネットは口を噤むと、頭を振った。
「ごめんなさい。あなたを責めても仕方がないわ。あなたも知らなかったのですものね、スタイナー。あの人が、貴族の息子だったなんて」
その通り、騎士の格好をした青年の顔をスタイナーは知らなかった。
しかし、おそらくどこかの隊に所属する騎士なのだろうと推測した。
「申し訳ありません」
「もういいの、スタイナー」
少し気をつけて見れば、気づけたはずだ。
ジタンの短剣が相手の剣を払い落とし、勝敗が決したとき。
慌てたように駆けつけてきたベアトリクスが真っ青な顔をした。
そして、彼女は言ったのだ。
―――お怪我は、リンゼン公子。
その時、それまで何も気付かなかった自分を悔いた。
よもや、切り捨てよなどと思ったとは……!
「申し訳ありません、陛下」
ガーネットは項垂れるスタイナーに歩み寄り、その肩に手を置いた。
「本当にもういいのよ。ごめんなさい、スタイナー」
そして、親しげだった口調に、不意に女王の威厳が籠もる。
「プルート隊隊長、アデルバート・スタイナー。これはわたくしの本意でないことをわかってください」
スタイナーは顔を上げる。
しかし、ガーネットは遂に泣き出した。
「スタイナー、あなたのダリ村赴任が決定したの」
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