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 行って、という言葉にまるで反応を返さず、彼はずっと自分を抱きしめていた。
 黒髪の一房に触れ、まるでその感触を刻み込むかのように、ずっと撫でていた。
『ジタン』
 引き離そうとして、前よりもっと強く抱きすくめられ。
 永い別離を思うと、震えるほど恐ろしくて。
『ジタン』
 その名を囁けるのも、今夜が最後。
 この温もりに触れられるのも、今夜が最後……。
 全てが愛しかった。
 その、存在の全てが愛しくて、あと少しで咽び泣きそうになり。
 そうすることが、どれだけ彼を苦しめるか知っているから、ガーネットは踏みとどまった。
『早く、行って。誰にも見られないうちに……』
 廊下で、誰かが歩く音がする。
 耳のいいジタンはもっと早く気づいていただろうに、まだここにいる……。
『ジタン。もう行って!』
 ガーネットは問答無用、彼の腕から離れると、小さく、しかし必死に訴えた。
 もう会えない。
 それでも、生きていて欲しい。
『ガーネット様』
 扉の向こうで呼ぶ声。
 ジタンはガーネットを引き寄せ、もう一度強く抱きしめると、窓から出て行った。
 それを目で追いながら。
 金色の髪が消え去るまで、ガーネットは動かなかった。
 彼が最後に言った言葉が、胸に痞えたままになった。


―――さよなら、ダガー……。






 ベアトリクスがやって来て、開けてある扉の向こう側に控えて立った。
 ガーネットが椅子から立ち上がって迎えると、彼女は敬礼して部屋へ入った。
「陛下。スタイナーは先ほど赴任地へ向け、出発いたしました」
 ガーネットは瞬間、目を見開いて彼女を見つめた。
「ベアトリクス! あなたも一緒に行くのでしょう?」
「いえ、私はここで、陛下のお側にお仕えいたします」
「だめよ! あなたは、あなたは一緒に……!」
 ガーネットの口唇が震え、言葉が途切れた。
「主人に申し付かりました。ガーネット様のお側に、と」
「ベアトリクス……!」
「主人の罪を、どうぞお許し下さいませ」
「やめて!」
 ガーネットは激しく首を振った。
「やめて! わたしたち見ていたじゃない。リンゼン公子は怪我なんてしなかったわ」
「はい」
 ベアトリクスは素直に頷いた。
「きっとね。途中で止めてもダメだったと思うわ。わたしには、貴族議会の決定に口出しする権利もないのだし」
 彼女自身のこと、つまり、彼女の結婚のことに関わるため、この決定にガーネットが口を挟む権利を、彼女は持ち合わせていなかった。
「どうして……どうしてこうなってしまったのか、わからないわ。スタイナーまで犠牲になるなんて……」
「スタイナーは自らの愚行の報いですから、陛下」
「もうやめて、ベアトリクス。わたし、スタイナーには本当に感謝しているのよ。いつも側で守ってくれて……。それなのに、随分酷いことを言って送り出してしまったわ。もしスタイナーに会うことがあったら、心からごめんなさいと……そう伝えてもらえるかしら?」
 百人斬りの冷血女と言われたベアトリクスの目に涙が浮かんだのは、後にも先にもこの時だけであったという。
 彼女はガーネットの言葉に、しっかりと頷いた。






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