<7>



 リンドブルムにその知らせが届くのに、さほど時間は掛からなかった。
 この国では英雄として崇められるジタンによもやそんな審判が下ろうとはと、誰もが憤った。
 だからこそ、そこまで深刻なものだとは誰も思わない程だった。


 やがて、彼は帰ってきた。
 悲しい帰郷。
 夜半過ぎ、生気のない顔がアジトの入り口に浮かんだとき、少なからず何人かが叫び声を漏らした。
「ジ、ジタンか……?」
 カードゲームで時間を潰していた一同のうち、真っ先に我に返ったブランクが、恐る恐る近づいてみる。
 一応、生きてる。
 ということは、前者でなく、後者を選んで帰ってきたということか。
「……ただいま」
 それだけ言うと、彼はずんずん歩いて中に入った。
 マーカスとシナがぞぞっと後ずさりする。
「……ジタン、あんたよぉ帰ってきたやんか……」
 ルビィがごく小さな声で言うと、ジタンは背負っていた荷物を部屋の隅にどさっと降ろし、振り向いた。
 痛いくらいの沈黙。
 ルビィはごくりと唾を飲み込んだ。
 ―――ホンマに、生きとるんやろな……。
 青い目は曇っていて、まるで生きている感じがしない。
 しばらく沈黙が続いた。
 誰も、なにも言わずじっとしている。
 その様子に不審を感じたバクーが階段を下りてきた。
「どうした、おめぇら。やけに静かじゃ……」
 その瞬間、バクーも右に同じく息を呑む。
 しかし、次の瞬間にはいつものペースを取り戻した。
「なんでぇ、ジタンじゃねえか。帰ったならさっさと挨拶しねぇか!」
 バクーはジタンの後ろ頭をこつんと叩いた。
「遅かったじゃねぇか。歩きで帰ってきやがったのか?」
「……うん」
「そうか。ま、ご苦労なこった。疲れただろうからよ、さっさと寝ちまえよ」
「……うん」
 バクーは大きな手でジタンの頭をぐしゃっと掻き回すと、戸棚にあった酒瓶を持って、また部屋へ帰っていった。
 そして、また沈黙。
 やがて耐えきれなくなったマーカスとシナは「お休みなさいっス」「もう寝るずら」と言い、後ずさりのまま部屋へ戻った。
「……なぁ、大丈夫か、お前」
 ブランクが気遣わしげに声を掛けたが。
 返事はなかった。
 ―――なんだか、マズイぞ。
 このまま放っておいて、いいのか?
 もう随分前にも、こんな風にひどく落ち込んだことがあった、けれど。
 あの時より酷いことになっているような気がする。……確かに、あの時より酷いことに間違いはない。
 しばらく沈黙が続き、やがて、ジタンは力なく微笑んだ。
「オレ、もう寝るから」
 そう言って、すたすたと階段を登っていった。
 身を切り裂くような冷たい風が、開け放たれていた窓から吹き込み。
 ―――冬の到来を告げていた。



***



 無いような時間が流れた。
 それは、音もなく滑り落ちる砂時計の砂に似ていた。
 気付けば、朝になっている。
 あの夜から幾度も幾度も。
 深い闇が消え、光が射すのが嘘のようだ、と思った。
 時計の歯車が微かに音を立てて回り、その音は聞き慣れたものであるはずなのに、虚ろで、刺さるような音に思えた。
 ジタンはじっと座っていた。
 小鳥が数羽、明るんだ空に向かって飛んでいくのが窓から見えた。


 寒い。
 起き出してきたブランクは首をすくめた。
 昨夜から開いたままになっていた窓から、風が吹き込む。
 初冬にしては寒い朝で、この分だと高地の方は雪になっているかもしれないと思った。
 彼は、つかつかと窓に近寄り、勢いよく閉めきった。
 側に座り込んでいた金色の頭が少しだけ動く。
「眠れなかったか」
 遠くを見つめたままの青い目は、何も語らなかった。
 ブランクは暖炉に火を点けようとして、昨日のうちに煙突を掃除しておいたのは正解だったと独りごちる。
 手際よく薪に火を点けると、再びブランクは立ち上がった。
 ジタンは、同じところで同じようにじっと座っていた。
「なぁ、ジタン」
 ブランクは呼び掛けた。
「ん?」
 振り向かずに、返事を返す。
「忘れろよ、姫さんのことは」
 途端に、ジタンは小さく首を振る。
「忘れた方がいいって。どんなに愛し合ってても、ダメなときはダメなんだよ」
 静かな口調で説き伏せる。
 それでも、ジタンは首を振り続けた。
「お前らは、そういう運命だったんだよ。残念だけど」
 首を振るのをやめ、ジタンは膝に頭を埋めた。
「オレは、あいつしか愛さない」
 くぐもった声で、しかしはっきりとそう言った。
「たとえ運命がオレたちを引き裂いても、オレはあいつしか愛さない」
 しん、とした空気が刺さるように冷たかった。
 ブランクはしばらくまじまじとジタンを見つめていたが、やがて口を開いた。
「……それ、辛いぜ?」
「わかってるよ」
「姫さんは、立場上結婚することだってあるだろうし、子供だって産むだろうよ。お前、それを遠くから見てるしかないんだぜ?」
「うん」
 ジタンは顔を上げた。
「それでも、いいんだ」
 いつの間にか少年らしさを失ってしまったその表情は険しく、苦しげだった。
 ブランクはそれ以上何も言わなかった。
 何も言えなかった。










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