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―――アレクサンドリア王国プルート隊、スタイナー隊長免職!
かの英雄、ジタン・トライバルの不可解な事件との関わりを否定できず――― |
リンドブルムの町に新聞の号外が流れたのは、ジタンがアジトに帰り着いた翌日の昼のこと。大戦後、リンドブルムの町では新聞社がかなり増えていた。
その記事を手にしたルビィが一目散にアジトへ駆け戻ったとき、ジタンはやはり窓際に座っていた。
言うべきか、言わざるべきか。
言わざる……べき、やな。
たぶんそのうち、知ってしまうにしても。
「ジタン、お昼ご飯何食べたい?」
ルビィは聞いてみた。
「ん? 別に、なんでも……」
ジタンは振り向いて微笑むと、また窓の外に目線をやった。
あんまり切ない笑顔なので、ルビィは泣き出しそうになった。
いや、実際泣き出した。
ジタンが驚いて振り向いたのも、涙に霞んでよく見えなかった。
「ル、ルビィ?」
慌てて立ち上がる気配がして、ルビィは、しまった、と思った。
逆に気ぃつかわせて、どないすんねん!
しかし、涙は止まらない。
世の不条理に対する怒りとか、ジタンの失意とか、ガーネットの痛みとか。考えれば考えるほど憤りを感じ、憤っても何もできない自分にまた腹が立ち。
そして、あんなにも愛し合う二人が何のために別れなければならないかを考えると、やり場のない悲しみが湧いてきて。
それが、たった今頂点に達したらしく、ルビィの涙は止まらなかった。
「……ごめん」
ジタンが呟いた言葉に、ルビィは目を見開いた。
「な、なんであんたが謝んの?」
「いや、だってさ。みんなに迷惑かけてるだろ、オレ」
「そんなん、ええに決まっとるやろ? うちら、仲間やんか」
言ってからますます泣けてきて、困ったルビィはとりあえずこの場を去ることにした。が。駆け上がろうとした階段からブランクが歩いてきたので、うまくいかなかった。
「なんでお前が泣くんだよ」
ブランクは幾分皮肉っぽく笑うと、ジタンを見た。
「お前が泣かせたのか?」
「……かも」
彼は、苦笑いの混じった声で返事する。
「何やってんだか」
ブランクは肩を竦めた。
「ホントにな」
ジタンは自嘲気味に笑うと、息をついた。そして、
「ありがとう、ルビィ」
何が何だか理解できずにルビィが振り向く。
「な、何が?」
「泣いてくれて」
「はぁ?」
ジタンはにっこり笑った。
その笑顔が何となく元気そうなので、ま、ええか、とルビィは思った。
ジタンは、きゅっと拳を握り締める。
―――人が生きるのに、理屈は要らない。
そう言ったのは、自分だった。
***
リンドブルム将校がアレクサンドリア貴族の子息に怪我を負わせたという事件は、両国の国交に少なからず不穏な影響をもたらした。
シド大公はアレクサンドリア王国に対し、事実関係の再確認と再審判を求める書面を出したが、逆にアレクサンドリアから、「なぜあのように野蛮な将校をおくのか」という抗議の書面を受け取った。
泥沼か……。
夫が呟いた一言を、ヒルダ妃は聞き漏らさなかった。
「ジタン殿のことですか?」
妻に尋ねられ、シド大公は溜め息をついて頷いた。
「バクーからも何とかならんのかと言われ続けておるのだが……この有様ではな」
「―――ガーネット姫は?」
「手紙も出せぬ様子らしい。一体どうなっておるのか……」
「お可哀想に……」
ヒルダは目頭に手を当てた。
「わたくしたちに、できることはございませんの?」
「あるとすれば、アレクサンドリアと戦争にならぬよう穏便にすることぐらいか」
「あなた!」
戦争、という言葉に、ヒルダは身を震わせた。
「まさかそんな……?」
「エーコには言うでないぞ、ヒルダ」
「申しませんとも」
「アレクサンドリア貴族たちは、リンドブルムの自由な気風が身分を超えた恋を黙認するに至ったのだから、その責務を負えと言っている」
「つまりは?」
「つまり、今後ガーネット姫のに結婚ついて口を出さぬこと。全てを我々に一任しろ、とな。それから……これは呑めぬが」
「何ですの……?」
「ジタン・トライバルの職を解き、国外追放と処せ、と」
「まさか、あなたは……」
「だから、これは呑めぬと申しておる」
ヒルダは安堵した。その安堵は、しかしすぐに不安に変わる。
「あなた、でもそうなれば……」
「戦争になるかも知れんな」
シド大公は難しい顔で黙り込んだ。
「穏便に、穏便に……。何かよい手はないか」
「大公殿下」
その時、オルベルタ文相が大公の間へ姿を見せた。
「何かよい手はないか、オルベルタ!」
単刀直入かつ説明省略の言葉にも、オルベルタは慣れきっていた。
「はぁ。そうでございますねぇ……」
「ジタンはどこにおるのじゃ!」
「タンタラスには?」
「まだ戻らぬ」
「事実を知ったら、国民が黙ってはおりませんでしょうね、殿下」
オルベルタはふと、そう告げた。
「……ふむ。それだ!」
シド大公は右手の拳を左手で受け、さっと立ち上がると書簡室へ去っていった。
「さすがは、オルベルタ大臣ですわね」
後に残ったヒルダ妃にお褒めの言葉を頂戴し、しかし、いつもよりずっと険しい顔でオルベルタはお辞儀した。
「先生!」
よく通る少女の声で、オルベルタは夢想から覚めたように顔を上げた。
「これはこれは、エーコ嬢様」
廊下を一目散に走ってくる顔は、少し青ざめ、不安を抱えている様子。
もう知ってしまわれたか、とオルベルタは少し困惑した。
「オルベルタ先生、あの、聞きたいことがあるの」
「はい」
「ジタンのこと、本当なのね?」
「はい」
「スタイナーのことも?」
「はい」
エーコは泣き出しそうな顔をした。
「お父さんは?」
「書簡室でお手紙をお書きです」
「エーコ、アレクサンドリアに……ダガーの所に、行きたい」
「はい」
オルベルタはゆっくりと頷いた。
「しかし、あと少しお待ちください、エーコ嬢様。大公殿下は何かをお考えの様子でしたからね」
エーコは頷いてから、緑色の瞳にますます恐怖を宿らせ、震える声でもう一つ、尋ねた。
「……大変なことにはならないわよね?」
わざわざ言葉を選びながら、それでいて尋ねないわけにはいかないこの少女に、オルベルタは凄まじさを感じた。
―――シド殿下。この嬢様は、もう全てお見通しなようですな。
「なりませんとも」
老大臣が力強く頷くと、エーコはほっと溜め息をついた。
「あたしにできることなら、何でもするわ」
「嬢様にしかお出来にならないことが、たくさんありますぞ、きっと」
「そうなの?」
「はい」
オルベルタの表情は暗かったが、その返答にエーコは一縷の望みをかけるしかなかった。
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