<2>


 ガーネットは仕事へ戻り、ジタンは暇を持て余して街へ出た。アレクサンドリアへ戻って以来、どうにもルビィの小劇場に入り浸りだ。
 知らないうちに端役を宛がわれ、知らないうちに出演まで決まっていた。
 確かに、ぼんやり練習風景を見ていても仕方がないので、ジタンもそれを了承した。ガーネットに話したら「楽しそうね」と、案外簡単な返事だった。
「嫌がるかと思ったんだけどなぁ……」
 ジタンはブツブツ呟いた。「感動の再会」で、期せずしてジタンはかなりの有名人になっていた。小劇場の舞台に出演すれば、何か危険なことがあるのではないかと心配するかもしれないと思っていたのだ。
「何ブツブツ言うとるのん」
 ルビィがその顔を覗き込んだ。
「いや、さ。最近ダガーがオレのことにあんまり関心持ってくれなくて」
「へー、そうなん?」
 ルビィは意外そうな顔をした。
「オレが日中何してても、別に気にしてない感じだし」
「じゃ、あんたは姫さんが何しとるか、ちゃんと話聞いてあげてるん?」
「え?」
 ジタンはきょとんとした顔になった。
「なんや、おあいこやないの」
「……あ、そっか」
「これやもん、男ってホンマ自分勝手なんやから」
 ルビィは、手に持っていた台本を丸めてぽかりと金髪頭を叩いてから、「さ、練習始めるで〜!」と劇団員たちに威勢のよい掛け声をかけた。


 いや、オレだってちゃんと色々考えてるぞ、と、ジタンはぶつぶつ呟きながら城へ戻った。
 劇団員たちと『明けの明星亭』で夕飯を食べ、一杯引っ掛けてから帰るのが彼のパターンとなっていた。
 城へ着くと、ちょうどガーネットは遅い夕食をとっていた。
「お帰りなさい、ジタン。ご飯は?」
「うん、もう食べた」
「そう」
 ガーネットはにっこりと微笑んだ。
「たまにはお城で食べればいいのに。ルビィさんにご迷惑よ」
「どうせ親仁のご馳走だからいいんだよ」
「今度お礼をしなくちゃね」
 ジタンが夕飯をご馳走になって、どうしてガーネットがお礼をするのか。よく考えれば、ちょっと変だった。―――まるで、アレみたいだ。奥さん。
「どうしたの、ジタン? 顔が赤くない?」
「……へ?」
 ジタンはガバッと顔を上げた。
「熱でもあるの?」
 ガーネットは心配そうな顔をした。
「え? あ、いや、違う違う」
 ジタンはぶんぶんと頭を振った。
「お、オレちょっと部屋戻ってるから……!」
「ジタン?」
 そそくさと食堂を後にする彼に、ガーネットは首を傾げた。


 そう、ジタンだって色々と考えてはいた。最近、特に色々考えていた。
 その色々の内容は、まぁ……あまり感心しないことも多かったのだけれど。
 よく考えてみれば、ジタンとガーネットは今、一つ屋根の下に「同棲中」である。同棲にしては、他に同居している人があまりにも多いとは言え。
 とにかく、会おうと思えば朝でも昼でも夜でも会うことができる。
 それが許された時、ジタンは小躍りしたいほど嬉しかった。ガーネットと一緒に暮らせるなんて、まるで夢のようではないか。あのスタイナーさえもが(渋々とは言え)OKを出したのは、ほとんど奇跡と言ってもよかった。
 そして半年。今はもう、ただ嬉しいだけではない。
 ジタンとて、色々と考えていたのだ。


「トット先生、ちょっといいか?」
 図書館を覗き込むと、トットは脇目も振らず本に読み耽っていた。
「トット先生!」
 もう一度呼ぶと、彼はやっと顔を上げた。
「おお、これはジタン殿。図書館へおいでとは珍しい。明日は雪ですかな」
「……先生に用事があって来たんだよ」
 ジタンは言い訳のように小声で呟いた。図書館くらい、ジタンにとって縁遠い場所はないかもしれない。
「ほう、何ですかな?」
「その、さ。……あの、アレクサンドリアってやっぱり、色々しきたりがあるんだろ?」
 突拍子もない問いに、トットは眼鏡の奥からまじまじと彼を見つめた。
「確かに、この国には古いしきたりが多く残ってはいますが」
「その……例えばの話なんだけど。結婚するときのしきたりってのも、やっぱり多いのか?」
「ほう」
 途端に、トットは面白そうな目になった。
「お聞きになりたいですかな?」
「うん」
 ジタンは頷いた。目が真剣である。
「まず、ご結婚までに守らねばならないしきたりは……既にスタイナー殿からお聞きでしたな」
「それは聞いた」
 そして守ってもいた。それを守るのは彼にとっては大変に困難なことではあったが、スタイナーに最も怖い言葉で脅されたこともあって、彼はその約束を忠実に守った。
 「そのしきたりを破れば、姫さまはもう二度とご結婚することはできないのである」と、スタイナーは言った。アレクサンドリアでは、純潔の女性でなければ神の御許で結婚の許しを得る儀式を挙げることができないのだ、と。
 時代錯誤も甚だしく、ジタンは「そんなもの守れるか!」と言ったが、それに返したスタイナーの言葉がそれだったのである。
「お聞きになったでしょうが、アレクサンドリアの数あるしきたりを守ってゆくことも、また王家の人間における仕事の一つです」
 ジタンは神妙に頷いた。
「ではまず、殿方が遂に結婚しようとお心に決めた時には」
 トットは勿体つけて咳払いした。
「そのお相手であるお嬢さんの、父君のお許しが必要です。ご本人に申し込む前に、まず父君に結婚の許しを頂戴しに伺います」
「え?」
 途端に、ジタンは困った表情になった。
「ち、父親がもう死んでる場合は?」
 トットはほっほ、としたり顔で笑ったが、ジタンはそれにも気づかないほど真剣だ。
「その場合は、後見人に許しを得ます」
「後見人……」
「ガーネット様の場合は、シド大公殿下ですな」
「あ、そっか」
 ジタンは納得して頷いたが、やがてはっと顔を上げた。
 その表情は、なんとも罰が悪そうである。
「やっぱバレてた……?」
「ついにご決心されたのですな」
「えっと……その、うん」
 ジタンは後ろ頭を掻いた。
「ダガーにはまだ何も言ってないんだけどさ」
「ご心配召されますな、ガーネット様は一も二もなくご承諾されるでしょう」
「それならいいんだけど……」
 ジタンはまだ後ろ頭を掻きながら、照れ臭そうに笑った。
「さて、ではしきたりの続きですが」
 トットは微笑み返してから、話を続けた。
「父親―――今回はシド大公殿下に結婚の許可を頂戴しに伺うわけですが、父親は大抵そこで承諾することはありません」
「……なんで?」
「しきたりですからな」
 ジタンは段々不安そうな表情になってきた。
「そして、未来の婿君と舅殿とで、決闘を行います」
「け、決闘!?」
「はい。婿殿が勝てば、結婚は許されます。しかし、舅殿が勝てば破談です」
「なんで!!」
 ジタンは悲痛な声で叫んだ。
「騎士の国だったせいでしょうかな。そのために、男性は幼い時から剣の稽古をしていたのかもしれませんよ」
 今となっては昔の話ですが、とトットは笑った。
「さて、婿殿が勝負に勝った場合、これで両親から結婚の許しを得ることになりますから、初めて花嫁に結婚を申し込む段となります。そのしきたりも細かく……」
「……いい、もうわかった」
 さらに説明を続けそうなトットを、ジタンが止めた。
「どうせ、シドのおっさんとこに行けばみんなにバレるんだし……そしたら、自動で『何たらの儀』とかに借り出されるんだろ?」
「まぁ、そうなりますな」
 ジタンは大きな溜め息を吐いた。面倒なことは嫌だったが、ガーネットと結婚はしたかった。
「心中お察しいたします」
 トットが冗談めかして軽く頭を下げたので、ジタンはしかめっ面をした。






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