「産神の鐘?」
「そう、アレクサンドリア王家に伝わる秘法よ。女王が子を産む時の儀式に使ったそうなの」
 ガーネットがそう説明すると、ジタンは些かうんざりした顔になった。
「また儀式かよ」
「仕方ないわよ。国王には他にすることがなかったんでしょ」
 ガーネットは皮肉めいて肩を竦めた。
「それで、トット先生がどうしてもその儀式を復活させたいって、そう仰るの」
「えー、いいじゃないかもう。儀式なら山ほどあるし」
 ガーネットが軽く眉を上げて「あら」と言う。
「でも特別な儀式だわ。生まれてくるこの子の安産を祈願するのよ?」
 ―――ジタンに、それを断ることができるはずもなかった!






産 神 の 鐘




<1>



「だから、一人で行くからいいって!」
 声高に叫んだのは、アレクサンドリア女王ガーネット17世の夫、ジタン国王陛下。
 結婚から一年が経とうとしていたが、いまだ『国王陛下』に馴染めずにいる。
「よろしいですか、昔は国王が大きな部隊を編成しましてですな、こうして隊列を組んで……」
「絶対い・や・だ!!!」
「ジタン、貴様いい加減状況に慣れたらどうなのである!」
 慣れない、絶対慣れないと頭を振って逃げ出し……かけたが、出口にはベアトリクスが立っていた。
「ジタン殿」
「ううーーー」
「……唸り声をお上げにならないでください」
 国王は頬を膨らませたまま、仕方なしに着座した。
「第一、ジタン殿は産神の祠がどこにあるかもご存知ではないでしょうに」
「地図があればすぐ……」
「おお、それはいけません」
 トットが顔の前で右手を振った。
「神の居所を図に示してはならないというのが、わが国の仕来りですからな」
「……またしきたりかよ」
 げんなりするジタン。
「とにかく大勢でぞろぞろ行くなんてご免だからな!」
「わかっておりますとも」
 貴様はまたわがままを! と言いかけた夫を押し留めて、ベアトリクスが請合った。
「ですから、たった一人をお供につけさせていただく手はずを整えてあります」
「無論自分が行くのであ」
「神々の祠に立ち入ることが許されるのは、王族とその血族の人間のみです」
 スタイナーがむぐ、と呻いた。
「リンゼン家のハロルド公子を覚えておいでですか」
 ベアトリクスは構わずに言葉を続けた。
「ああ……あの貴族の?」
「ええ。リンゼン家は王家の遠縁ですし、ハロルド公子ならば安心してあなたを預かっていただけます」
「……オレは幼稚園児か」
「同じようなものでしょう」
 ベアトリクスが事も無げに答えると、堪え切れずにトットが大きな鼻を鳴らした。
「とにかくそのようにさせていただきましたから、どうか宜しなにお願いいたします」



***



 ジタンが文字通りしぶしぶ言いながら階下へ降りると、ハロルドは既に旅支度を整えてそこに控えていた。
「よぉ!」
 ジタンは、まるで旧友にするかのような挨拶をした。
 リンゼン公子は相変わらず真っ直ぐな目をした青年で、折り目正しく腰を折った後、
「ベイラルド・リンゼンが嫡子、ハロルドにございます。この度は大役を仰せつかり、身に余る光栄で―――」
 ジタンが耳を塞いで「わー!」と叫んだので、ハロルドはぎょっとして口を噤み、恐れ多い国王陛下の顔を見上げた。
「お前までそんな挨拶しないでくれよ!」
 非難轟々といった態で、ジタンが言った。
「しかし……」
「これから旅するのに、お前がそんなだとこっちの肩が凝るんだよ」
「……はぁ」
「とにかく、オレのことは『ジタン』でいいし、敬語もいらないし、恭しい態度もいらないからな」
「はぁ、しかし……」
「とにかく、そ・う・し・て・く・れ!!!」



「ジタン殿」
 ―――と、ハロルドは金髪頭に呼びかけた。
 それが、彼が出した妥協案だった。
 よもや国王陛下を呼び捨てになどできないし、かと言って往来で「陛下」と呼ぶのも確かに憚られる。
 それで、彼はギリギリの線でそう呼ぶことに決めたのである。
「なんだ?」
 青い目をくるりとさせて、国王は振り向いた。さっきまで口を尖らせて文句を言っていたのに、もうすっかり忘れてしまったかのようだった。
 本当に無邪気な人だ、と、ハロルドはそう思った。
「ここから先はモンスターの出没ポイントになります」
「うん、知ってる」
「危ないですから、どうぞ先頭は私にお任せください」
「……まぁ、いいけど」
 ジタンは何か言いたげだったが、今まで三歩後ろに控えて歩いていたハロルドが前を行くことを許した。
「どうぞ後ろにもお気をつけください」
「うん、そうだな」
 と、全く危機感のない声でジタンが答えるので、ハロルドは「自分がしっかりせねば」という当初からの心構えを新たにした。
 ベアトリクス将軍からは山ほど「注意点」を預かってきていたのだ。


 ―――とにかく、陛下のご身辺の安全に気を配り、陛下のご勝手な行動を差し控えていただかなければなりません。


 どうにも、ハロルド・リンゼンはその「安全」の意味を履き違えていたのだった。







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