<2>
「おいおい、大丈夫かよ」
と、手が伸ばされる。
「だ、大丈夫です……」
「モンスター見ただけで腰抜かすなんて、ホントにボンボンなんだな、お前」
悪戯っ子のようににっと笑いながら、ジタンはそう言った。
前方遠くからのしのし近づいてくるモンスターの影に気付いたハロルドが、剣を抜いて構えた……ところまでは良かったのだが。
大きなクモのようなモンスターがギーギー鳴きながら目の前まで突進してくると、たっぷり冷や汗を掻いた手も、体も、全く動かなくなってしまったのだ。
それどころか、足の力が抜けてふらふらと地面に座り込んでしまう有様。
それと同時に、ジタンが後ろからぴょんと飛び出て、一撃でモンスターをしとめてくれた。
心から、有難かった。
心から、倒錯感に苛まれたけれど。
国王陛下の護衛としてこの旅にご同行仕ったはずが。
よもや国王陛下にお護り頂く羽目になろうとは……。
「お前さ、慣れないんだったらオレに任せとけばいいんだよ」
ジタンはもう一度、ほれ、とでも言うように手を差し出した。
「道案内さえしてくれれば、それでお前の仕事は十分なんだから」
「しかし……」
ハロルドは自分の力で何とか立ち上がり、小さく一礼する。
「私は陛下の御身周りをお護りするために―――」
「あのベアトリクスがお前にそんなこと頼むわけねぇだろ」
ジタンは涼しい顔で釘を差した。
「お前は確かに剣の腕は立つさ、それはオレも認める」
思わず首を竦めるハロルド。恐れ多くも、果し合いを申し込んだ苦い思い出が蘇った。
「けど、剣の型と本物の戦闘は、あんまり関係ないんだよ。むしろ型なんてどうでもよくて、要は相手に負けないってことが大事なんだ」
どんな手を使っても。ジタンはそう付け加えた。
果し合いをした日、彼は決して汚い手は使わなかった。
自分の騎士剣を叩き落とそうと、わざと自ら不利な闘いを選んだ人。
「まずはオレがやるのを見てろよ。それで、コツがわかってきたら助けてくれればいいからさ」
ハロルドは小さく「はい」と答えてから、本当に何のためにお供しているのかわからなくなって頭が痛んだ。
***
宿に入って、食堂で夕食をとることになった。ハロルドは同席することを遠慮したが、ジタンが「一人でメシ食ったって味気ねぇじゃん」と唇を尖らせるので、恐縮しつつ席についた。
「今日はご迷惑ばかりお掛けして……」
そう口ごもると、ジタンは一瞬「何のことだ?」という顔をしてから、ゲラゲラ笑い出した。
「オレだって昔はそうだったんだぜ」
笑いながらそう言うので、ハロルドは思わず目を見開いた。
「モンスターなんて狩猟祭くらいでしか見たことなかったし、初めて家出して旅を始めた頃は、逃げ回ってばっかりで戦うこともしなかった」
懐かしそうに、ジタンは目を細めた。
「フライヤって奴がさ、オレが今日お前にしたみたいに、いろいろ教えてくれたんだ」
「フライヤ殿と言えば……」
「そうそう、ブルメシアの竜騎士だよ」
それで、ハロルドは軽く混乱した。ジタンは、確かに今はアレクサンドリアの国王だが、昔はただの―――盗賊だったはず。なぜブルメシアの竜騎士などという知り合いがあったのだろう?
そういえば、あの日ドクトル・トットの口からも彼女の名前が挙がった気がする。
「以前からのお知り合いだったのですか」
「うん。オレが十四の時からだから……十年くらいかな。たまたま一緒になってさ。基本が世話好きだから、オレの面倒を見てくれたってわけ」
へへっ、とジタンは笑った。
「なんか懐かしいなぁ」
ハロルドも想像してみた。
十四歳の少年が、この広い荒野を踏みしめ、孤独な旅をしている。腰に下げた短剣だけが頼りの旅。
孤独ではあっても自由であり、自由でありながらどこか勇ましい。
何となく、その姿はとてもジタンらしいと思った。
国王の椅子に座って小難しい書類たちに向かっているより、ずっと彼らしい。
「ジタン殿は……」
ハロルドは、ずっと聞いてみたいと思っていた疑問を口に乗せた。
「自由を失うことになるとわかっていて、なぜ女王陛下とご結婚なさる決心をされたのですか」
ジタンはくるりと青い目を彼に向けた。心底、どうしてそんなことを聞くのかという顔をしていた。
「愛してるからだよ」
あっさりと、国王は答えた。
「そ、それだけですか……?」
「それだけさ、他に何か理由がいるのか?」
きょとんとした顔で、彼は逆にそう問うた。
それで、ハロルドは思わず笑ってしまった。
ああ、この人はなんと屈託のない。簡単なまでに、素直な気持ちを言葉にできてしまわれるのだな―――。
ほんの少しの羨望と、大きな興味が湧いた。
「しかし、愛情だけで結婚生活が成り立つものでしょうか」
どう答えるだろうかと、ハロルドはけしかけてみた。
「最初は我慢できるかもしれませんが、長年身についた習慣や生活を、そうそう変えることができるものなのですか?」
「うーん」
ジタンは唇を尖らせて天井をじっと見上げた。しかし、ややあって彼はこう答えたのだった。
「たとえこの先ずっと自由でいられたとしても、ダガーが……ガーネットが傍にいなかったら生きてる意味なんてないんだ。だからオレはあいつと結婚した。他に理由なんてないよ」
―――あいつが、オレの帰り着く場所なんだ。
国王はそう付け加えて、口を閉じた。
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