<3>



 ハロルドははっと目を開けた。見慣れない白い天井は滑らかで、どこかで薪がパチパチ爆ぜる音がしている。
 びっくりして体を起こそうとしたが、腕も体も思うように動かなかった。
「お目覚めかい?」
 萎びた声が聞こえて、年取った老女がハロルドの額へ手を伸ばし、そこから濡れた手ぬぐいを取り去った。
「まだ動けないだろうさ、無理はしないこったよ」
「……ここは?」
「小さな村の小さなボロ屋さ。あんたは怪我をしてここに担ぎ込まれたんだよ」
 それで、ハロルドは急にジタンのことを思い出した。
「あ、あの……陛下―――いえ、ジタン殿は」
「ああ、あんたを負ぶってきたお連れさんかい?」
「負ぶっ……!! ああ、はいそうです。その方です」
 よもや国王陛下に背負われて運んでもらったとは……一生の不覚だ。
「あのお兄さんなら、薪を拾いに行ったよ。何たってここにゃわし一人だから、あんたたちをもてなしようもなくてね」
「薪、を……お一人で行かれたのですか」
「子供でねぇんだから、一人で行かれるだろうさ」
 大層な腕前のようだったしねぇ、と老婆は付け加えた。
「そ、そうですか……」
 ハロルドは黙り込んだ。もし、はジタンの辞書にはないのかもしれなかったが、もし何かあったら大事だった。しかし、寝返りさえ打てそうもない彼には何もできなかった。


 ハロルドは、仕方なしに「どうしてこんな有様になったのか」ということを考えた。
 ―――確か、今日は朝早く宿を出て、ジタン殿は眠くてたまらないと何度も欠伸をされた。明日中には祠へ到達したかったから、先を急ごうとしたのだ。ジタン殿はあちこちで寄り道をしたがったけれど、ご遠慮いただいた。何しろ、「陛下に余計な寄り道をさせてはいけない」というベアトリクス将軍のお達しだったし。
 それで、ジタン殿が勝手に道を外れて行かないよう注意していた。そちらにばかり気が行っていた……たぶん。でもジタン殿のせいではない、はず。
 あの方はわかっていたのだ。その先にモンスターの巣窟があることを。だから「あ、ちょっと待った」と急に口にされて、「ダメですよ、ジタン殿。もう寄り道はいけません」とか何とか言いながら、どんどん先へ歩いていく自分を止めようとされたのだ。
 ああ、そうなのだ。なんてことだ。
 モンスターの大群に圧倒されて、受け身も何も取れなかった。その後どうなったのか、全く記憶がない―――

「ハロルド!」
 急に若々しい声に名を呼ばれ、ハロルドはびくっとなった。
「気がついたのか?」
「さっき目が覚めたところさね」
 老婆が説明してくれた。
「よかったぁぁぁ……お前に何かあったら、ベアトリクスに顔向けできないじゃないか」
 ジタンは大きく息を吐いて、安堵した表情を浮かべた。
「……あの、ジタン殿」
「ん?」
 器用に薪を短剣で割り始めながら、青い目がちらりと向けられる。
「それは、逆ではないでしょうか……」
「何が?」
「あなたに何かあったら、私が将軍に顔向けできない、の間違いでは」
「あ? ああ、まぁそれはあり得ないから」
「あ、あり得な……」
「この辺のモンスターくらいのレベルじゃ、昼寝してたって余裕だぞ」
「……」
 そうだ。そうなのだ。忘れていた。いや、忘れてはいなかったけれど、改めて実感した。
 この人のレベルは尋常でなく高い。
 果し合いの日、傍目には互角に戦えているように見えていたが、実際はそうではなかった。
 もし彼が本気でやろうものなら、たぶんあっという間に勝負は決まっていたのだ。
 あの時、女王が「やめて!」と叫ばなければ。
「申し訳ありません……」
「お前、謝ってばっかだな」
 ジタンはくつくつと喉を鳴らして笑った。



***



 そうして、二人の目前には暗い洞窟が鎮座ましましていたのだった。
「この先が産神の祠です。奥へ進めば神棚があり、鐘が奉ってあるはずです」
「ふぅん」
 ジタンは入り口から中をじろじろ見た。暗くてよくは見えない。
「ようやく、たどり着きました……」
 ハロルドは感動で胸を熱くしていた。遠い道のりだった。アレクサンドリアから3泊4日……途中1休み。
 ジタンは、そんなハロルドを横目で見遣って、こっそりと口元に笑みを浮かべた。
 きっと、大事に大事に箱に入れられて育ったに違いない。苦労のくの字も知らずに。
 そんな人の好さと真っ直ぐさが、ジタンには心地よかった。
「なぁ、ハロルド」
 国王に呼ばれ、ハロルドは振り返って「はい」と返事する。
「お前、まだあいつのこと好きか?」
「……は?」
「ガーネットが好きかって聞いてるんだ」
 目を丸くして、慌てふためく。こりゃ図星か?とジタンは心の中で呟いた。
 しかし、ハロルドは強く頭を振ると
「いいえ、とんでもない!」
 と否定の言葉を口にした。
「今は、ただご尊敬申し上げているだけです」
「ふぅん?」
「本当です!」
「うーん、まぁそういうことにしておくか」
「本当ですよ! そうでなかったら、ジタン殿のお供をしてこんなところまで来たりしません」
 ジタンがどういう意味かという目で見るので、ハロルドは言葉を続けた。
「ガーネット様には、お健やかなご出産を迎えていただきたいのです。お二人の初めてのお子ですから」
 心から、そう思った。
 果し合いで負けたからじゃない。結局叶わなかったからでもない。
 二人がいつまでも幸福でいて欲しいと、ハロルドは心底思っていた。
「そっか」
 ジタンは子供のように破顔して、
「ありがとな」
 ハロルドの肩にがしっと腕を回した。
「なぁ、オレたちさ、国王と家臣じゃなくて、普通の『友達』になれないか?」
 は? とハロルドが再び目を丸くする。
「なんたって、好みのタイプも似てるわけだしさ」


 ジタン殿―――――!!!! と叫ぶ貴公子を背に、ジタンはおどけながら祠の中へ逃げ込んだ。



***



 ハロルド・リンゼン。1861年没。
 ガーネット女王とその夫にまつわるエピソードを、数多く知る一人であった。





-Fin-







ハロルド・リンゼン目線のジタンを書いてみたいなーとかねてから思っていたので、やってみました(笑)
どちらかというとジタン目線のハロルドな気もしますが…(^^;)
ジタンとハロルドはまったく正反対の人間なので、今後も上手くやっていったのではないかと思います。
ハロルドがおじいちゃんになった時、「昔こんなことがあってな…」と思い出を長話してくれたらいい。

2008.8.23




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