冬の午後、暖かい執務室。
 ガーネットは立ち上がり、大臣に書類を手渡そうとした―――その時。
 一瞬はっとした顔をした女王に、大臣は何事かと不安げな目を向けた。
「陛下、書類について何かお気に掛かることでもございましたか?」
「え? ああ! いいえ、何も問題ありませんでしたわ」
「そうですか……?」
 訝しげな表情の大臣を早々に送り出し、ドアを閉め、ガーネットはドキドキ言っている胸を押さえた。
 ―――なんてことだろう!
 もう一度左手を調べてみる。
 やっぱり、彼から貰った指輪がない!









 それは、去年の誕生日にジタンがガーネットに贈った指輪だった。
 サファイアとガーネットの小ぶりな石が入った指輪で、彼女はそれをいつも大事に填め、入浴の時と手を洗う時と、執務でどうしても仕方のない時以外、一度も外したことがなかった。
 サイズを測ったわけでもないのに、その指輪はガーネットの薬指に不思議なほどフィットしており、彼がそういったことに慣れている風を感じさせて少し不満だった……が。
 ちなみに、ジタンがその買い物のために彼女の指輪をいくつか拝借していたことを、彼女は知らなかった。


 とにかく、そんな一度も外したことのない指輪は今、彼女の指から跡形もなく消えていた。
 彼女は数分間、頭が真っ白になって何もできなくなっていた。
 が、やがて頭が回り出すと、どこかに落としたのだろうということに思い至った。
 そこで、とりあえず執務室を隅から隅まで探索することにした。
 部屋の隅から隅まで、机の下、本棚の隙間、引き出しの中まで探したが、指輪は見つからなかった。
 どこで落としたのだろう。執務室より、自分の部屋で落とした可能性の方が高い。
 そう思ったら、いてもたってもいられなくなり、ガーネットは仕事もそこそこに部屋へ戻ることにした。
 途中、毛の長い絨毯の敷かれた廊下を、目を皿のようにして歩いた。必然、屈むような格好になってしまう。
 そんなおかしな格好で歩いていれば、見咎められても仕方のないことだった。
「ガーネット様?」
 ベアトリクスが通りかかり、驚いて声を掛けた。
「どうかされましたか?」
 ガーネットはガバッと顔を上げた。
「ベ、ベアトリクス!」
「ご気分でも優れませんか?」
「いいえ、そうじゃないわ」
「では、どうされました?」
「それが、あの……」
 指輪をなくしたの、と言おうとして、ガーネットは急に恥ずかしくなってやめた。
 そんな私的ことを将軍に報告して、どうなるというのだ?
「ガーネット様?」
 ベアトリクスはなおも心配そうに顔を覗き込む。ガーネットはますます俯いた。
「あの……探し物を」
 やっと小さな声でそう言うと、ベアトリクスは合点がいったように頷いた。
「どのような探し物でしょうか。私もお手伝いいたします」
「い、いいえ! いいの、ベアトリクス! わたしが自分で探すから!」
 ガーネットはぱっと顔を上げ、両手を振って辞退した。

 そのため、ベアトリクスは彼女の指に指輪がないことに気付いた。

「ガーネット様……指輪を失くされましたか?」
「えっ?!」
 彼女は自分の顔の前にあった両手をまじまじと見つめ、慌てて背中に隠した。
「あ、あの―――」
 頬を染めると、泣き出しそうな顔になる。
「私も一緒にお探しします」
「でも……こんなこと頼めないわ」
「いいえ、これは国家を揺るがす大事ですから」
 ベアトリクスがキッパリと言うと、ガーネットはますます赤くなった。


 ガーネットが部屋に戻ると、知らせを受けた侍女たちが既にスタンバイして待っていた。
 『陛下の指輪』に関しては若い侍女たちの間で大変な噂になっており、その形を知らぬものは誰もいなかった。
 女王の自室、浴室、洗面台など、日常生活に使用されるあらゆる場所は、彼女らによって塵一つ逃さないほどにひっくり返されたが、指輪は出てこなかった。ガーネットも一緒に思いつく限りの場所を、ベッドの下まで探したが、やはり見つからなかった。
 その間、ベアトリクス隊は城中を捜索していた。客室を一室一室探し、迎賓室を探し、ホールを探し、薔薇園を探し、ロイヤルシートや観劇に使う客席まで探したが、やはり発見できなかった。
 ベアトリクスから連絡を受けたスタイナーはプルート隊を引き連れて湖近辺まで探しに出たが、指輪はどこにも見当たらなかった。
 ついにはプルート隊員たちが湖を浚おうと言い出し、女王はさすがに固辞したのだった。


 ガーネットは、最後に指輪を見たのがいつだったのか、必死に思い出そうとしていた。
 数日前、ジタンが城を訪れたときにはまだ指に填まっていたはずだ。
 ジタンがふざけて「いい指輪だね」と言って、二人で散々笑ったのだ。
 その後、白いフードつきのローブで変装して、ジタンと二人で街へ出た。確か、着替えの時にはまだしていたような気がする。
 船に乗り、商店街を歩いた。そうだ、店のクリスマスの飾りつけが綺麗で、しばらく立ち止まって眺めたのだ。街はとても賑やかで、人通りもいつもより多かった。
 最初にどの店に入ったのだろうか?
 ジタンと街へ出ることはあまり珍しいことではなく、どこをどう回ったのかはっきりとは思い出せなかった。
 そういえば、二人でクレープを買って食べた記憶がある。鮮やかな色のイチゴが入ったクレープで、ジタンがチョコレートを口の周りに盛大につけて、大笑いになった。
 ガラス細工の店のウィンドウで華奢なデザインのワイングラスを見て、ジタンが「あんなのアジトに置いておいたら、あっという間に割られるだろうな」と言っていた。でも、あのグラスはやっぱり綺麗だったと思う。
 それから、帽子だかマフラーだか、そういった冬物のお店に入って、何かお揃いで買おうということになった。でも、二人で色々試してみたけれど、やっぱり気に入ったものが見つからなくて、結局見るだけで終わった。
 クリスマス用品の店に入って、ツリーに飾る飾りを二人で選んだのは昼食の前だったのか、後だったのか。
 銀色の鈴と、チョコボのマスコットと、どこかビビのような格好の可愛い子供のオーナメントを買った。これは今でもガーネットの手元に残っているから、間違いなかった。


 そのうちのどこかで落としたのだろうか。ガーネットは全く思い出せなかった。


 プルート隊が街へ行き、ガーネットがその日立ち寄ったかもしれない店に――例えば小物の店だとか、デートの時はいつも昼食を食べる『明けの明星亭』だとか、念のため小劇場にも――顔を出してみたが、指輪は誰にも拾われていなかった。
 小劇場では、ルビィは留守だったが、他の劇団員たちも街を探してくれるということだった。
 「いっそ御触れを出されては」と言われ、ガーネットが恥ずかしさのあまり両手に顔を埋めたのは、捜索開始から五日後の夕方だった。



***



 指輪はどこにもなかった。
 ゴミと間違えて捨ててしまったのか、シーツに紛れて洗濯され、排水溝に吸い込まれたかもしれない。料理長が食材と思って食べたかもしれないし――クイナは否定したが――、誰かがどこかで拾って持っていったのかもしれなかった。
 捜索開始から一週間、ガーネットは「もう諦めるわ」とベアトリクスに告げた。
「これ以上みんなを巻き込めないわ」
「しかし……」
「本当にもういいの。ジタンだって、きっと話せばわかってくれると思うし」
 ベアトリクスは一瞬、同じような造りの指輪を職人に作らせようかと逡巡したが、そんなものは意味がないことは明らかだった。
「元気を出してください、ガーネット様」
「ええ、大丈夫よ」
 ガーネットは沈んだ顔で返事した。

 夕方ごろには城の喧騒が元に戻り、ベアトリクス隊もプルート隊も自分たちの任務に復帰した。 
それでも十日間ほどはみな何となく指輪を探していたが、やはりどこからも出てこなかった。


 ある夜、ガーネットは寝台に横たわったまま裸の薬指を宙にかざし、ため息をついた。
 ジタンはわかってはくれるだろうが、酷くがっかりするだろう、と彼女は思った。
 ガーネットの宝石箱には、あの大戦の後、街を復興するために使って随分少なくはなっていたが、母から譲り受けた大きな宝石の指輪がいくつか入っていた。
 それに比べれば石の小さい指輪だったが、きっと彼にとっては高価な買い物だったに違いない。
 一生懸命選んでくれたのだろう。「双子の月に似せた」と言っていた指輪は、青と赤の石で本当にそんな風に見えた。
 ガーネットは起き上がり、窓から月を眺めた。月はちゃんと夜空に輝き、そして指輪は消えたのだ。
 彼女は悲しかった。
 指輪を大事にしていたつもりだったのに、本当はぞんざいに扱っていたのかもしれない。
 彼との時間を大事にしているつもりだったのに、本当は上の空だったのかもしれない。
 だから、罰が当たったのだ。
 きっと指輪のことはわかってくれるだろうが、いつかジタンは自分に愛想をつかすかもしれない。
 そんなことになったら生きていられないだろうとガーネットは思った。
 窓辺に跪き、ガーネットは両手を組んで空を見上げた。
「神様―――わたしは、彼を落胆させるようなことをして、罪深い人間です。今そのことがはっきりとわかりました。だから、どうか罰をお与えになるなら、わたしにお与え下さい。彼をがっかりさせるくらいなら、わたしを八つ裂きにして下さっても構いません。わたしは……ジタンに不誠実でした」
 全くそんなことはなかったが、彼女は『不誠実』であったことを認めた。
 一頻り祈りを捧げると、彼女は何となく落ち着きを取り戻し、ようやく寝る気になった。


 ―――明日、もう一度自分で探してみよう。


 そう思いながら、彼女は眠りに付いた。



***



 しかし、結局彼女は指輪を探しに出られなかった。
 朝、気遣わしげな顔の侍女の運んでくれた朝食を食べていると、ベアトリクスがやってきた。
「ジタン殿がいらしています」
 困惑気味に、彼女はそう告げた。
 ガーネットは食事中にもかかわらず、思わずガタンと大きな音を立てて立ち上がった。
「なんですって?!」
 悲壮な叫びだった。
「どうされますか?」
「どうって……ああ、もうどうしようもないわ」
 ガーネットは哀しく呟いた。その時、廊下で人の声がした。
「何だよぉ、いつもは顔パスなのにさ」
「本来ならば貴様のような人間が自由に出入りできるようなところではないのだぞ、ジタン」
「相変わらず堅いこと言うよな、スタイナーはさ」
 バンッと勢いよくドアが開き、ガーネットとベアトリクスと給仕の侍女は揃ってびくっとした。
「おはよう、ダガー。聞いてくれよ。なんか知らないけど、今日は城の入り口のところで足止め喰らっちゃってさぁ、酷いと思わないか?」
「あ、え、ええ、そうね。ちょうど今、城の警備強化週間なのよ」
 ガーネットは無意識に両手を背中に隠し、引きつったように笑った。
「ふ〜ん、なるほどね」
 ジタンは「美味そうなの食ってるな」と言うと、ガーネットの皿からつまみ食いした。
 その隙に、ベアトリクスとスタイナーは、挨拶もそこそこ、侍女を連れて部屋から消えた。
「なんか、あいつらおかしくないか? 夫婦喧嘩でもしたのかな」
 ジタンがそれを見送りながら呟いたが、ガーネットには今はそんな戯れに応じている余裕がなかった。
「あの、ジタン」
「何?」
「わたし、あなたに話さなきゃならないことがあるの」
「ふぅん?」
 ジタンは青い目でじっとガーネットを見た。
 彼女は一瞬たじろいだが、謝罪しなければという義務感で立ち直った。
「ジタン、あなたがくれた指輪なんだけど……」
「ああ、あれかぁ!」
 ジタンがふと嬉しそうに横槍を入れかけたが、ガーネットは一気に捲くし立てた。
「ごめんなさい、どこかに落として失くしてしまったの! わたし、本当にずっとずっと大事にしていたのよ。仕事でどうしようもない時とか、そういう時以外、一度だって外した事はなかったわ。誰かにプレゼントしてもらうことがこんなに嬉しいなんて―――うんん、あなたから貰ったものだったから、だから嬉しかったし、とても大事だったの。それなのに、わたしはどこに落としたのかもわからなくて……。一生懸命探したのよ。今日も探そうと思ってたわ。さすがに城のみんなに手伝ってもらうのはもうやめてもらったけど……」
「え?」
 それまで黙って聞いていたジタンが、思わず声を上げた。
「手伝ってもらったのか?」
「だって、一人ではどうしようもなかったわ!」
 手伝ってもらったことを攻められるとは思っていなかったガーネットは、思わず涙声で叫んだ。
「わたしだってちゃんと探したわ! 本当は一人で探すつもりだったのよ!」
「わ、わかったよ。わかったから泣くなって」
「泣いてないわ!」
 ほとんど泣き声でガーネットは主張した。
 ジタンは困った顔をして、腕を伸ばすと黒髪の豊かな頭を抱き寄せた。
「ちょっと落ち着けよ、ダガー」
 うう、とガーネットはすすり泣いた。
「いいか、落ち着いて聞けよ。指輪はオレが持ってるんだ」
「え?!」
 ガーネットは途端に、ガバッとジタンから離れた。
「どうして?!」
「忘れたかな、毛糸雑貨の店を見たとき、ダガー、手袋を試着しただろ?」
 指輪の石留めが引っかかったらいけないからと、彼女は指輪を外したのだ。
 ジタンはそれを預かり、ズボンのポケット入れておいたが、そんなことはすっかり忘れてリンドブルムへ帰ってしまったのだった。
「覚えてるかと思ったんだよ、だから今日持ってくればいいだろうってさ」
 ほら、と、ジタンはズボンのポケットを漁って指輪を取り出し、彼女の薬指に填めた。
「忘れてたわ……」
 ガーネットは三週間ぶりに指に戻った指輪を見ながら、途方に暮れた声でそう言った。
「オレも忘れててさ、洗濯に出した時にルビィが見つけたんだ」
 「ポケットの中身は全部出してから洗濯に出しぃって、いつも言うてるやろ!」なんて、怒られちゃったぜ、と、ジタンは笑った。
 しかし、ガーネットはまだ俯いたまま、指輪が戻った嬉しさと、忘れていた悲しさの混ざった涙を零し続けた。
 さすがに心配になったのか、
「ごめんな、早く言わなくて」
 ジタンはそう言って頭を掻いた。
「ダガーの勢いが凄かったし、それに……ちょっと言って欲しくてさ。大事な指輪だとか、貰って嬉しかったとか、さ」
 それから、足元に置いてあった紙袋から、綺麗に包装された箱を取り出した。
「ほら、機嫌直して。これは今年のプレゼント」
「今年の?」
「あれ? また忘れてるのか?」
 ジタンは目を見開いてから、悪戯そうに笑った。
「今日は何の日だ?」

 何の日……?

「あ!」
 騒ぎのせいで、また自分の誕生日を忘れていたガーネットは、びっくりして飛び上がった。
「忘れてたわ!」


 ジタンが二十歳の誕生日に選んでくれたプレゼントは、二脚のワイングラス。
 あの日、ガラス細工の店で見た、華奢なデザインのそれだった。



-Fin-









ガーネット姫、お誕生日おめでとう♪ 今年も姫祭に参加できて、とても嬉しいです(^^*)
何だかいろいろと穴のあるお話になってしまいましたが(それはいつものこと・・・?)、
姫の誕生日をお祝いするために、心を込めて書かせていただきました。
ちなみに、題名の英語は、訳すと「女王様の誕生日にカンパイ」らしいです。ベタな(^^;)

2005.1.15  せい





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