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朝起きて、することがない。
朝ごはんを食べて、することがない。
昼ごはんを食べるまで、することがない。
ルビィはヒマを持て余していた。
昼ごはんを食べてから、夕飯を食べるまですることがない、だなんて。
夕飯を食べてから寝るまで、することがない……だなんて、ヒドイ。
暇つぶしに何かしよう。そうしよう。
そう思って、一番時間がかかって、一番お金がかからなそうな「趣味」を探しに商業区へ出たけれど、そんな都合のいい「趣味」は見つからなかった。
「一番金がかからないって言ったら」
ルビィが考えあぐねていたら、シナが提案してくれた。
「歩くことだと思うずらよ」
確かに、歩き回るだけの時間は余りに余っていた。
ルビィは一人で散歩してみた。
昼間のんびり街を歩いていると、何だか本当におばあさんになったような気持ちになった。
十年前に旦那さんを亡くした未亡人のおばあさん。頭の白い。
若かった自分を思い起こして、懐かしむおばあさん。
……本当に、そういうものになったような気持ちになった。
そんなわけで、劇場街の角でばったりブランクと出くわした時、ルビィはちょっと人恋しくなっていた。
ブランクは大きな袋を抱えていて、今度の仕事に使う何かの道具を調達してきたらしかった。
「今帰り?」
追いついて肩を叩くと、ブランクも振り向いた。
「おう」
「何、大荷物やんか」
「まぁな」
ブランクは肩を竦めた。
それで、そこからアジトまで並んで歩いた。
やっぱり、誰か一緒に歩いてくれる人がいなかったら、散歩も暇つぶしにはならない。ルビィはそんなことを思った。
ブランクみたいな無愛想な仏頂面でも、いないよりはいた方がいい。
バクーが花粉症かもしれない話題で盛り上がっていたら、不意に声をかけられた。
顔を上げると、見慣れた笑顔にぶつかる。
「やぁ、久しぶり」
何ヶ月か前までは、いつも一緒にいた人……今はただの他人。
「久しぶり」
ルビィも澄まして答えた。はっきり言って、あまり会いたくない人だった。しかも、彼は女の子を連れていた。とっても可愛い女の子を。
ルビィがその子を見ていると、彼がその目線に気付いて紹介してくれた。
それも、ルビィにとって最も嫌味な言葉で。
「彼女なんだ」
―――あ、そ。だから何。わざわざ見せ付けに来たとか?
そんな訳もなかったけれど、妙に負け犬っぽい思考が働いた。
「誰?」
くるりとした大きな瞳で、彼女が彼を見上げた。
「昔の知り合い」
そうです昔の知り合いですどうぞヨロシク。
「そちらは?」
と、彼がブランクを見る。ルビィもブランクを見た。居心地の悪そうな顔だ。
何だかイライラしていたルビィは、思わず見栄を張った。
「新しいカレシ」
は? と言いそうなブランクの脇腹を肘で突っついたら、何となく察してくれたらしく、彼は「どうも」とだけ言った。
『昔のカレシ』は意外そうな顔をした。
「じゃぁ、趣味変わったんだ」
「趣味?」
「そう。君の趣味って、背が高くて金持ちで、学歴も高い男って言ってた……から」
と、そこまで口に出してから、『昔のカレシ』は「あ」という顔になった。
「……えっと、ごめん。余計なこと言ったかな」
つまり。こいつが背が低くてビンボーで頭が悪そうってこと!?
……ひっど。
「でも、よかった。そういう相手が側にいてくれるなら安心だよね」
と、『昔のカレシ』はにっこり笑った。
「君はさ、気が強そうに見えて、本当は誰かに頼りたい性格だから」
それじゃ、さよなら。またどこかで。
別れの挨拶を交換して、お互いの行き先へ向けて再び歩き始めた。
「つき合わせてもうてごめんな」
一応謝っておこうと、ルビィは口を開いた。
「前の彼やねんけど、うちこと面倒くさい言うて別れたん」
あの人だけじゃなくて誰でもそうなんだけど、と、ルビィは心の中で呟いた。
ブランクは黙ったままだった。
「なんやいろいろ言うてたけど、悪気ないねん。怒らんといて」
「……ああ」
曖昧な返事だけを残して、やっぱりブランクは黙っていた。
あんまりだんまりなので、さすがに気まずくなって、「さっきの話、なんやったっけ?」と振ってみた。
***
「あ、ルビィ! 今入らない方がいいっスよ」
と、居間に入ろうとしたらマーカスに止められた。
「へ? なんで?」
「兄キが機嫌悪いんスよ」
彼は大げさに顔を顰めた……けれどバンダナのせいでよくは見えない。
「機嫌悪いて……なんで」
「知らないっス。そういう時は触らぬ神に祟りなしっスよ」
「……ふーん」
ルビィは入り口からちらりと部屋の中を覗き見た。
確かに、一心不乱、脇目も振らずに鍵開けの練習をしている。あれをやる時のブランクは非常に機嫌が悪くて、いつもものすごく苛々しているのだ。
こんな時、ジタンがいたら気の利いたことの一つや二つ言うだろうに―――彼は、まだあの場所から帰ってこなかった。
ブランクがイラついている要因の一つは、たぶんそれなのかもしれない。
「けど、うち用事あんねんて」
戸棚を指差す。読みかけの台本をしまったままだ。
「そしたら、気付かれないようにそ〜っと行った方がいいっス」
「……ご丁寧にどうも」
マーカスは時々ものすごくどうでもいいことに真剣だ。
とは言え、すぐ近くを人が通って気付かないブランクではない。
案の定、ルビィが戸棚の扉を開けると、ブランクは顔を上げた。
「お邪魔さま〜」
ルビィはわざとからかうように一言入れた。
まぁ、こういうことをするからいつも喧嘩になるのだけれど。相手がイラついてるとつい突っつきたくなる。
「……どうぞ」
不機嫌な声はそう答えて、また鍵開けを始めた。
「なぁ、そんなんやって面白いん?」
目的の台本を引き抜きながら、そう聞いてみた。この人に、今更鍵開けの練習が必要なんだろうか?
「別に」
「やめたらええのに」
「どうせ暇だし」
「他にも暇つぶしならいくらでもあるんちゃうのん? お得意の武器の手入れとか、芝居の稽古、床磨き、とか、もっと役に立ちそうな暇つぶしが」
ブランクは面倒くさそうに溜め息をついた。
そうだ。暇つぶしに困っていたのは自分も一緒だった。
そして、その暇な要因まで同じなのだ。
「それやなかったら、ほら、カノジョ作ったらええやん」
ルビィはそう言ってみてから、それを自分が言われたらかなりカチンときそうだと思った。そんなん簡単に作れるんやったら世話ないで。
しかし、顔を上げたブランクは怒ってはいなかった。
「あんた好みのぽんより天然ちゃん。紹介しよか?」
「……遠慮しとく」
ブランクはもう一度溜め息を吐くと、鍵がかかったままの練習道具を全部引っかき集めて、居間を出て行ってしまった。
「あは、やっぱ怒った?」
と、呟いた声は広い居間に殊更響いた。
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