激しくゆるい話。
「何だそれは」
タンタラス劇団・アレクサンドリア公演の稽古中、突然の大声で、コーネリア姫の長い独白シーンを諳んじていたルビィは、はっとして我に返った。
練習用の舞台の下で、バクーが元々怖い顔を見たこともないくらいにもっと怖くしていた。
「何だその腑抜けた台詞は」
普段は陽気な呑んだくれ親爺だったけれど、こと演劇に関してはとても厳しかった。女優志望のルビィにとっては、彼のそういうところは唯一尊敬できる部分、と言ってもよかったけれど。
「やる気のねぇ奴は出て行け」
「あの……ボ」
「聞こえなかったか、やる気のねぇ奴は出て行けと言ったんだ」
ハラハラと見守る仲間たちが、バクーとルビィの顔を交互に見比べている。
「……堪忍」
小さく呟くと、ルビィは舞台から飛び降りて、そのまま稽古部屋を出た。
頭の中で自分を罵る言葉を精一杯繰り返しながら廊下を走り抜け、劇場の端っこの非常階段まで行く。
泣いても仕方ないのに、気持ちとは裏腹に涙が止まらなかった。
気が散っていたのは間違いなかった。
それも、バクーが一番嫌う、いわゆる「プライベート」なことで気が散っていた。
台詞をすっ飛ばしたのだろうか。どこか間違えた? 自分ではちっとも思い出せない。
……違う、間違えたから怒ったんやない。
気の抜けたまま舞台へ上がろうなんて、役者として、最低。
わかっていたけれど、稽古を休むわけには行かなかった。本番まであとひと月。それも、今回の舞台は普通の舞台と違う。先方に何か妙だと気取られてはならない、とにかく重要な舞台なのだ。
―――何もこんな時に、言わんでもええのにさ……。
ルビィは袖口でぐいぐいと顔を拭った。
面倒くさい。ルビィはそう言われて恋人に振られた。
同郷の友人に紹介されたその人は、今まで付き合ってきたどの相手よりもマメで、多少の我が侭も笑って許してくれた。
その優しさに、甘えていたのだ。いつから面倒くさくなっていたのだろう。
面倒くさいと思われながら、自分は浮かれてはしゃいでいたなんて、それが一番ショックだった。
このまま、いつか結婚するんじゃないかとさえ思っていたのだから……ああ、とんだお笑い種やで。
あれだけマメな男でも「面倒くさい」だとしたら、一体誰とどう付き合ったら「面倒くさくない」女になれるのか、ルビィには皆目わからなくて、本気でお先真っ暗だった。
何だかもう、何もかもが嫌になってしまった。
パサリ、と頭から何かを被せられて、ルビィは驚いてびくっと振り向いた。
驚かせた張本人はほとんど無表情なまま、ルビィの顔をチラッとだけ見た。
本当にチラッとだけ。
しまった、涙で化粧落ちてもうたやんけ。
「……おおきに」
とだけ言って、頭の上からタオルを引っ張った。真新しいタオルは石鹸のにおいがして、何となく、荒んだ心が和んだ。
「大丈夫かよ」
そっぽを向いたまま、ブランクはそう呟いた。
「……うん」
「昨日からぼーっとしてただろ」
「……バレてた?」
「バレバレ」
うぅ、と呻いて、ルビィは自分の両膝に突っ伏した。
「あんたにまでバレてたらお終いや」
超ド級の鈍感男にまで悟られるなんて……自分で思ってたより落ち込んどるんやろか、うち。
「お前、また振られたのかよ」
相変わらずそっぽを向いたまま、ブランクは水を飲みながらそう訊いた。
「うー」
「ここ一年で何人目だ」
「うるさい」
「見る目ないんじゃねぇの?」
言った瞬間、足元に置いた水のボトルが攫われ、赤毛の天辺で「がっこーん」といい音をさせた。
「いっ……!!」
「そっちこそどないやねん! 付き合う子付き合う子ブリっ子の小太りちゃんやないの!」
「―――なんで俺の話になるんだよ」
ブランクが頭を押さえたまま、恨みがましそうに抗議する。
加えて、ルビィがいつも言う「ブリっ子の小太り」には大いに反論したかった……けれど、今日はやめておく。ちょっと天然で小柄、と言え。
「まぁ、殴る元気がありゃいいけどよ」
よいせ、と立ち上がると、ブランクはルビィの手からボトルを取り上げた。
「ボスだって、お前には期待してるから厳しく当たるんだろうしな」
「……そう、かな」
「うちでモノになりそうなのはお前くらいだろ」
他は全員盗賊顔だし。ブランクが付け加えると、ルビィはクスリと笑った。
「ボスの頭冷えたらまた来いよ」
つられたように唇の端を上げると、ブランクは踵を返した。
「カオ直してな」
「……」
―――超鈍感男は、いつも一言余計なのだ。
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