「ほら、早く〜!」
「待ってよエーコ!」
 ぴょんぴょんと飛び跳ねるように走る少女の後を、覚束なげな足取りで追う黒魔道士の少年。これでも最速で走っているつもりだったが、彼女の方が遥かに速足だった。
「もう、ノロマなんだから〜。そんなことしてたら劇場艇着いちゃうわよ!」
 ビビがエーコに追い付くと、エーコはその右手を左手で握った。
「え?」
 ビビは繋がれた手をまじまじと見つめる。
「あたしが引っ張ってあげる」
「エーコ?」
 そのままぐいぐいと引き摺られるように歩き出すと、ビビは斜め後から、エーコのほんの少しだけ赤く染まった頬を見つめた。



「なんじゃ、おぬしも来たのか」
「まぁな……じいさんの墓参りのついでだ」
 ぶっきら棒に答えるサラマンダーに、フライヤはふふ、と笑った。
「それに、良いものが見られそうじゃしな」
「……相変わらず、趣味の悪ぃこと言うぜ」
 サラマンダーはちらりと、夕焼け雲の向こうを見遣った。



 劇場艇プリマビスタは、夕暮れの空の上、アレクサンドリアを目指していた。
 一年前、鎖国下にあった王国に向かったのと同じように―――そして五十年前、運命の出会いを果たすために飛んだのと同じように。
 ガイアは平和を取り戻し、もうその美しさを壊そうとする者が現れることはなかった。

 その幸せが、どれだけの犠牲の上に成り立ったものなのか。

 ガーネットは城の部屋にいた。
 窓を開け放つと、夕暮れの空を白い小鳥たちが飛び立っていった。
 あれから、一年。待ち続け、祈り続けた一年。
 祈りはクリスタルまで届かず、彼女の願いは未だに叶ってはいなかった。
「これは、オレにしかできないことなんだ」
 ジタンはそう言った。
「どこにいて、何をしていても、必ず帰る」
 ……とも。
 一番星がぼんやりと霞んで見えた。ガーネットは指で涙を拭うと、立ち上がった。
 きっとどこかで、彼も今日という日を過ごしているはず。
 もう二度と会うことができなかったとしても……きっとどこかで、彼は生きているはず。
 ガーネットは、そう信じることで自分の心を支えてきた。




     「信じるんだ。信じれば願いは叶う」




 一年前と同じように、劇場艇では舞台が幕を開けていた。仲間たちは揃って観客席に陣取っていて、時々肩を寄せ合ったり、何かこそこそと笑い合ったりしていた。
 ガーネットは母を見た。この一年、エメラルド女王は戦に疲れ果てた兵士たちを労うために生きていたと言っても過言ではなかった。
 そして、彼女は常に娘の側を離れなかった。母がいなければ、ガーネットは自失して、正気ではいられなかったかもしれなかった。
 ガーネットは初めて、父を失った母の気持ちを理解した。母がどれだけ苦しく辛い思いをしたのか、同じ思いを抱いて初めて気付いた。
 父は、事実上母の命令を受けて死地へ向かったのだ。最愛の息子を、夫を、弟を、たくさんの兵の命を、母は自分の手で奪ったも同然と考えたに違いない。
 それは、ガーネットも同じだった。


 ―――ジタンの命を奪ったのは、きっとわたしだ。




     「太陽が祝福してくれぬのなら、二つの月に語りかけよう」




「ダガーってば、まだ気付いてないのかしら」
「あの表情ならば、そうじゃろうな」
「もう、ほんっとにニブチンなんだから!」
 ビビがエーコに「しーっ」と注意した。
 しかしエーコはしかめっ面をしてから、再び小声で話し始めた。
「ジタンもジタンよね、生きて帰ってこられたんだから、さっさと会いに行けばいいのに」
「エメラルド女王が、どうしてもと頼んだという話じゃ」
「あいつもそれを呑んだんだ。『最後の女王』へのはなむけに、ってな」
 サラマンダーが口を挟んだ時、舞台の上の人がマントに手を掛けた。




     「月の光よ、どうか私の願いを届けてくれ」




「会わせてくれ、愛しのダガーに!」





終章




 リンドブルム発、アレクサンドリア行き。
 その飛空艇に乗り合わせたのは、本来ならその艇に乗るはずのなかった少女だった。クルクルとよく動く好奇心いっぱいの瞳と、その割に柔らかい物腰が特徴的な、その少女。
 飛空艇の蓄音機からは、幼いころから聞き馴染んだあの歌が流れていた。
「お嬢さん、アレクサンドリアは初めてかな?」
 向かいの席に座った老人が尋ねると、彼女はこくりと頷いた。
「一人で?」
「はい」
「まぁ、偉いのねぇ」
 隣に座る彼の妻らしき老婦人に感心されて、もうそんな歳じゃないんだけど……と、彼女は苦笑いを浮かべる。
 ほんの少し、故郷の祖母を思い出した。



 飛空艇は、青い空をどこまでも滑っていった。
 窓から見る景色は、どれも初めて見るものばかり。
「ほらご覧。あれが有名な、アレクサンドリア城の剣塔だよ」
 と、さっきの老人が少女に指し示した。
「それじゃぁ、あれが……」
 少女は小さく呟き、食い入るように雲霞の向こうを見つめた。
 アレクサンドリア―――剣と翼の国。
 二十五年前、王国から共和国へとその姿を変えた。
 しかし、どんなに国の姿が変わろうと、その国に暮らす人々の真摯な瞳と誠実な人柄は変わらないという。
 そして、その血が自分にも流れているのだと、彼女は確かに感じていた。


 少しだけ開いていた窓から風が舞い込んで、彼女の黒く短い髪をさらさらと煽った。
 青い瞳は直向きに、いつも心に思い描き、憧憬していたかの国を映していた。


 そう。
 その少女には、見たこともないような角と尻尾が生えていた―――!



***



 お父さん、お母さんへ

 勝手に家を飛び出したりしてごめんなさい。
 でもやっぱり、どうしてもお母さんの故郷を見てみたかったの。
 そんなわけで、わたしは今、アレクサンドリアにいます。
 こちらのお祖母さんのお屋敷にご厄介になって、もう二週間が経ちました。
 アレクサンドリアのお祖母さんは、とても優しくて素敵な人です。
 はとこたちもとても良くしてくれます。
 お祖母さんは、お母さんの子供の頃の話を聞かせてくれました。
 お母さんやお父さんやサフィーおばあちゃんのことをいろいろ気にかけているみたいです。
 みんな元気でやっていると伝えました。

 わたしは、この家から毎日楽しく学校に通っています。
 学校では歴史学の勉強をしています。
 ちゃんと真面目に勉強してるから、心配しないでね!

 来週末、一度そちらに顔を出します。
 お土産もたくさんあるので、お楽しみに♪

セーラ



追伸

 この街でも、ラジオからあの懐かしい歌が流れています。









− 完 −








あとがき

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